アウトレットモールにドライバーとして行ったけど暇なので書店の児童書コーナー眺めてたら、青い鳥文庫に「黒田官兵衛は名探偵!!-タイムスリップ探偵団と中国大返しを成功させよ!の巻- 」という本があって笑った。
他にも子供向けの官兵衛本はいくつか出てましたが、それよりも小学館の「ジュニア 日本の歴史 3」がおっさんにも勉強になる内容で欲しくなりました。
室町時代は末柄豊氏が執筆されたとのことで、手持ちの本でも何度か名前を見たと思ったら、論文「細川氏の同族連合体制の解体と畿内領国化」や「細川政元と修験道―司箭院興仙を中心に―」のひとでした。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/suegara/shisenin.htm
我が子とともに学ぶ日本史というのもいいかもしれない。(我が子いないけど)
そんなわけで、三好実休が主君の持隆を謀殺した見性寺と勝瑞城にはいつか行きたいと思っていたのでした。
長く「勝瑞城跡」とされてきた場所がその一角に過ぎないという話を知らず、中途半端な訪問となってしまいましたが…。
勝瑞遺跡 デジタル博物館
http://aizumi-shouzui.sakura.ne.jp/pc2009/
公的な史跡紹介とは思えない程とても充実していて驚いたのですが、徳島大学が中心となった調査の成果を紹介するサイトのようです。
守護町勝瑞遺跡
http://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/
勝瑞遺跡の公式サイトですが、こちらも充実しています。
http://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/manga.html
取り込み画像っぽくて読みづらいですが、この手作り感あふれる「マンガ勝瑞ものがたり」はとても子供向けには見えない内容で必見です。(絵はちょっと脱力する感じですけど…)
阿波三好氏に関して、「小少将」後に「大形殿」と呼ばれた女性と、その子供達の興味深い話があります。
若松和三郎氏『戦国三好氏と篠原長房』によれば、板野郡西条城主・岡本美作守入道牧西の娘で、初めは阿波守護・細川持隆の側室でしたが、持隆が三好長慶の弟・実休(いわゆる三好義賢)に殺された後はその側室となり、更に実休が久米田の戦いで討死した後は、家老衆の一人・篠原自遁の愛人となりました。
小少将は細川持隆の嫡子・真之、三好実休の嫡子・長治、その弟で後に十河一存の養子となった存保を産みましたが、三好長慶亡き後の政権を支えた家老・篠原長房を、…[全文を見る]
普通の自販機かと思いきや、だいぶ徳島化されてました。


これが美味しかったです。美馬市の司菊酒造が作ってるそうな。

…[全文を見る]
この後、阿波細川氏の守護所で阿波三好氏の本拠地、勝瑞城にも寄ったのですが


長く妄想の中でイメージを膨らませていて、これ館跡?ってほど意外に小規模で拍子抜けしましたが、どうもここは長宗我部氏の侵攻を受け最後の決戦となった中富川の戦いに際して急造された城の跡ということのようで。

跡地に建っているのは阿波三好氏の菩提寺、龍音山見性寺(臨済宗妙心寺派)です。
…[全文を見る]

( ´-`)。o 0 (…なんかいかがわしい雰囲気に見えてしまう…僕の目が腐ってるんでしょうか…しらんがな…)
三好長慶が基礎を築いた町というのも個人的なポイントです。

『戦国三好氏と篠原長房』には永禄7年時の情報として美馬市脇町には脇城(武田上野亮)、岩倉城(三好徳太郎)があったとのこと。

左端の真ん中あたりの山かな…?
Wikipediaによれば脇城の遺構はほとんど残っていないそうですが、三好政権期に城主を務めた武田信顕(上記の上野亮のことでしょうか?)は、武田信虎庶子との伝承があるという興味深い情報が。
また、岩倉城主の三好徳太郎は、三好康長(笑巌)の子・康俊のようですが…。
阿波三好家の重臣を謀殺してその首級を手土産に長宗我部氏に寝返った上、康長の四国到来に呼応して再度の反乱を試みたが、失敗して討ち果たされている。
とまあ、ひどい書かれようです。
先日の生田神社にて

ここは由緒ある神社でありながら、周囲は全く歓楽街として発展してしまったのが面白いです。(今は割と寂れ気味ではありますが…)
個人的には、秀吉が自らの書状で、城兵は悉く首を討ち、女子供200名を子供は串刺しに、女は磔にして国境に晒したと書き残していて、今でもその惨状が地名に残され伝承されている上月合戦をどう描くかがポイントだと思ってます。
(天正5年12月3日のこと、官兵衛も従軍してます。尼子再興軍が入城する前の戦いです)
僕は官兵衛のことを、播磨人の情念を背負い地を這って生きた人と評価してるので、官兵衛個人と信長や秀吉との関係よりも、赤松旧臣達それぞれが中央政権の争いや外部勢力の侵攻に際していかに生き残りをかけて戦ったのかを丁寧に描いてこそ、官兵衛という人の魅力も活きると思うわけです。
(いわゆる黒田二十四騎の大半は播磨人ですし、官兵衛は地縁というものをとても大事にした人だと思います。黒田氏の出自については諸説ありますが)
で、そういうことをやれるのはNHK大河ドラマだけだと思ってるので、ぜひそういう方向性で行って欲しいなぁと。
播磨の諸将と比べると…[全文を見る]
あとまだせいぜい30代であろう赤松政秀が白髪混じりのじいさんなのは、明らかにおかしいですね。
これから色々と謀略を使ってくるというおことで演出上の理由でしょうけど、そういうのもどうかなぁと。
というか、赤松(晴政、義祐)、浦上(政宗、宗景)、小寺、別所、龍野赤松、この辺りの関係と、畿内政権との繋がりをきちんと伝えておかないと、あの事件の背景は理解されないし、後の三木合戦も織田側の視点からしか描けないんじゃないかと…。
軍師官兵衛
見ましたが、龍野赤松氏=「赤松」と呼ばれていることに危惧を感じてます。このままでは、赤松惣領家の存在が作中で触れられることはないような気が…。
播磨の情勢をちゃんと伝える気はなく、かと言って畿内の三好政権の様子を伝えることもなく、ただ未来の信長や秀吉との関係だけが運命じみたものとして描かれるという、視点は違えども結局はこれまでとあまり変わらない戦国物になりそう。
播磨を、官兵衛を題材にしておきながら、もったいないなぁと。
まあ、信長は圧し切りのエピソードをより印象的に繋ぎたいんだとは思いますが…。
あ、子役は可愛かったです。
高松に行ったついでに、大黒さん瓦チェックしてきました。

鶴と亀。これは結構よく見かけました。写真を見比べると、地元京都府南部の物とほぼ同じです。
壁の青い模様もちょくちょく見かけました。

何か巾着袋みたいなの?

家紋が入った物もぼちぼち見かけました。
…[全文を見る]
三浦道寸といえば辞世の句が良いのですよ
「討つものも討たるるものも土器(かわらけ)よ 砕けて後はもとの土くれ」
朝倉義景の「七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空」と並んで好きな詩です。
7月のこれが

\デデーン/

すっかり綺麗になってました
この日は仙台から伊達武将隊も来てました。


甲冑と陣羽織かっこいい。右端の変な格好の人は支倉常長さん。そう来たか…って思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/おもてなし武将隊
これに載ってるだけでも全国で20以上のグループが活動してるらしい。雇用対策も兼ねた地域振興ということで予算が取りやすいのかな。
「忍城おもてなし甲冑隊」とか、メンバーが渋すぎて分からない
>成田長親・成田氏長・正木丹波守利英・酒巻靱負・柴崎和泉守
米沢城の「山形おきたま【愛】の武将隊」、敵味方入り乱れすぎて面白い
>直江兼続・最上義光・前田慶次・楯岡光直…[全文を見る]
今月も全く遠出せず写真が少ないので、またフォトライフの無料分埋めようと、朝から清盛隊の写真整理してました。
1月14日、歴史館閉館のときの。



もう4ヶ月くらいは生で見てないけど、1月5日は生田神社で演舞奉納するらしいので行きたい。5日なら多少は初詣客も減ってるかな…。
痴情のもつれはうそですが、大内義隆と陶隆房の熱い関係は結構有名で[要出典]、たぶん相良武任や冷泉隆豊を絡ませた妄想ストーリーを展開されている方はどっかにいらっしゃるんじゃないかなぁという感じです。
まあ時期は遅かったですが義隆は実子もうけてるので、細川政元のように衆道一直線の魔法使いというわけではないです。よくあることです多分。
なお義隆の偏諱を受けてる毛利隆元と小早川隆景も幼少期に寵愛を受けたという話で、だからかどうかは分かりませんが、隆元は義隆が殺害されたと聞いて元就に仇討ちを主張したと言われてます。
実際には毛利氏も謀反以前に大内領を攻め取っているので、元々は義隆を隠居させて義尊を擁立する計画をで進めていたのではないか、とも。