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ホリィ(新人)のことを語る

阿波三好氏に関して、「小少将」後に「大形殿」と呼ばれた女性と、その子供達の興味深い話があります。
若松和三郎氏『戦国三好氏と篠原長房』によれば、板野郡西条城主・岡本美作守入道牧西の娘で、初めは阿波守護・細川持隆の側室でしたが、持隆が三好長慶の弟・実休(いわゆる三好義賢)に殺された後はその側室となり、更に実休が久米田の戦いで討死した後は、家老衆の一人・篠原自遁の愛人となりました。

小少将は細川持隆の嫡子・真之、三好実休の嫡子・長治、その弟で後に十河一存の養子となった存保を産みましたが、三好長慶亡き後の政権を支えた家老・篠原長房を、篠原自遁の讒言を受けて討伐した後は、真之を領袖とする細川派、長治を領袖とする三好派に分けて兄弟が相争い、長宗我部氏の侵攻も重なって阿波は大混乱に陥りました。

やがて長宗我部氏が細川派の実権を掌握し、三好派は長治の敗死後、織田政権の支援を受けた十河存保が総帥となりましたが、天正10年(1582)8月、本能寺の変後の混乱した状況の中、存保は中富川の決戦に敗北して讃岐へと撤退、また経緯は不明ですが細川真之も同年10月に自刃しました。

その後、十河存保は秀吉に従って大名として旧領を安堵されましたが、九州征伐の戸次川合戦において仙石秀久の稚拙な作戦の犠牲となり、長宗我部信親ともども戦死しました。
(このせいで仙石秀久が嫌いだったので、漫画『センゴク』をずっと読む気になれなかったという…)

なお大形殿の最期は不詳ですが、淡路へと逃れた篠原自遁と行動を共にしたと伝えられているようです。
小説などでは長宗我部元親の側室になったとされてるそうで、事実だったら恐ろしい話ですが、そちらの「小少将」は元親の子供を産んでるので、ちょっと年齢的にあり得ないんじゃないかと…。