好きな給食のメニュー
鯨の竜田揚げがすごく好きだったんですが、遡って見たらもう書いてた
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/9258646695577766911
他にも2回書いてる人が結構いたんですが、給食に限らず子供の頃の美味しい!って印象はずっと残るんだろうなあ。
大人になってから食べたら、あれ…っていう例もありますけど。
(僕の場合は神戸ポートピア博で初めて食べてすごく気に入ってた、さんざしチップがそれでした)
/ホリィ(新人)
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好きな給食のメニュー
鯨の竜田揚げがすごく好きだったんですが、遡って見たらもう書いてた
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/9258646695577766911
他にも2回書いてる人が結構いたんですが、給食に限らず子供の頃の美味しい!って印象はずっと残るんだろうなあ。
大人になってから食べたら、あれ…っていう例もありますけど。
(僕の場合は神戸ポートピア博で初めて食べてすごく気に入ってた、さんざしチップがそれでした)
貴方の好きなセガサターンのソフトは?【知らんがな】
サターン持ってたはずなのに、記憶にあるのはタクティクスオウガとかウィザードリィとか移植物くらい…。
っていうかなんで買ったんだっけ?って考えたら、元々ときめきメモリアル専用機だったのを思い出しました。
六甲ヒルトップギャラリーのオンライン写真館との比較
まやビューライン「虹の駅」

当時は摩耶ケーブル摩耶駅で、駅舎の向こう側に摩耶観光ホテルがありました。
駅舎に結構名残があります。
http://hilltop-g.com/jyosetu/jy06.html
摩耶観光ホテル

ここ、食堂だったんですね。初めて足を踏み入れた時は息を呑みました。
http://hilltop-g.com/jyosetu/jy07.html
摩耶観光ホテルの一室

うーん、ここかなあ?窓枠が違うので別の部屋かも。
http://hilltop-g.com/jyosetu/jy51.html
そういえば鐵手摺石段修繕の記念碑?も確認してきました。

こんな危うい状態ですが…

宿坊大乗院 発起人 松下吉松 松下○○

明治十六年 仝三十七年元日 かな?
六甲ヒルトップギャラリーのオンライン写真館にも石段の写真が。
http://hilltop-g.com/jyosetu/jy13.html
テクナートの広告マンガ、ブログにまとめられてたァァ
http://gk.q-q-q-q.com/mt/archives/cat_.html
石川次郎先生公認だって

こちらは火災直前の昭和48年頃に撮影された写真だそうです。
電柱とかも見えますし、普通に人が住んでた雰囲気ですよ…これがあんなことになってしまうなんて。

明治31年の石碑。天上寺の略歴が書かれてるみたいです。慶長元年地震堂宇皆倒とか書かれてます。
こういう所があると腰掛けたくなりますよね、デビルマンED的な感じでー
…[全文を見る]
載せる写真間違ってました。
摩耶山の石段(2) はこっちの方です。

木が茂ってて石段が隠れてしまってますが…。

案内板に掲載されていた旧天上寺の境内図。
右端の小さな赤い囲みが山門、そこから長い石段が続き右手に墓地と宿坊跡(黄色く囲まれた部分)、左手に蓮華院、右手に王蔵院、大乗院という塔頭があったそうです。
今回の再訪のきっかけとなった写真と同じ場所を探したんですが…

こちらが多分、角度は少し違いますが http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=53
:title=摩耶山の石段(1) の場所。
虹の駅から旧天上寺までは、より参詣道の形跡が色濃くなってきます。

奉納は摩耶鋼索鐡道株式会社、当時の摩耶ケーブルの運営会社ですね。
一方に観艦式記念とありましたので、開業後に神戸で行われた昭和5年か11年のもののようです。

参道にある「摩耶花壇」 http://h.hatena.ne.jp/k-holy/299875460035899577 で投稿した廃墟です。
ここもその筋には結構有名なスポットで、かつては参詣客の休憩所だったそうですが、歴史的経緯などは分かりません。
麓の摩耶ケーブル下駅に自転車を停めて、上野道を歩くいつものルートで。
摩耶ケーブルは摩耶山天上寺への参詣客のために大正14年に開業したそうですが、昭和4年にはその外観から「軍艦ホテル」と呼ばれた摩耶山温泉も建設され、多くの観光客を運んだということです。
その後いろいろあってホテルは閉鎖、天上寺も昭和51年の火災により更に北の摩耶別山に移転、ケーブルも阪神淡路大震災で被害を受け休業してましたが、平成13年より「まやビューライン夢散歩」として営業再開されています。

ケーブル駅前にある「摩耶十八丁」の丁石。上野道は「丁石道」とも呼ばれたそうで…[全文を見る]
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/243615648621574721 の続き

杣谷川を北上、この辺りではこんな看板をよく見かけます。

篠原本町には山口組の総本部があるそうですよ。

この辺りの風景、神戸らしくて好きなんですけどね…
これ書いて今どうなってるか気になったので、天上寺跡へ3年ぶりに行って来ました。

前回よりも時間的に余裕があったので、道中いろいろな物を見ながらじっくり登りました。

結構普通のハイカー(こっちじゃない方)が大勢来てましたので、何度も後ろから追い抜いては寄り道してるうちに抜かれて、また抜いて…と繰り返してしまい、なんなのこいつ?って思われてたかも。

詳しくはまた後日に…。
受信
http://h.hatena.ne.jp/matsuiism/299893018120480185
血をちんに
すみませんすみません
フォーチュンクッキー
伏見稲荷にも辻占煎餅というのがあります。
いなりや
http://www.inariya-kyoto.com/product/
>鈴の形で割ると、中からおみくじが出てくる。おみくじの種類は160種類ほどありますが、中には当たり付きのおみくじが有り記念品と交換出来る。ホームパーティーや集会などのお茶菓子に是非どうぞ。
>おみくじの内容は、別注も承ります。(お気軽にご相談ください)
仕込みにも対応してくれるそうで…
摩耶山の旧天上寺は昭和51年に大火災でこの山門を残してほぼ焼失してしまったそうで、今は別の場所に移転しています。

摩耶山の石段(2)の右側に少し見えている建物の現在の状況が多分これ。

鐵手摺石段修繕 明治一六年?とありますので、あの石段の写真はそれよりも古いのかな。

(残念ながら元の画像を消失してしまっているので、はっきりと分かりませんが…)
ついでに本堂の跡地も。
…[全文を見る]
長崎大学附属図書館「幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース」で、以前摩耶山天上寺跡で撮影したのと同じ場所と思われる写真を見つけました。

摩耶山の石段(1)
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=53
摩耶山の石段(2)
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=2816
今はもうなくなってしまった場所の写真を見つけると、なんだか嬉しくなります。
日光東照宮の三猿の写真ももちろんあります。
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=2988

鎌倉の大仏はかなり写真点数が多いんですが、この背中の扉も結構歴史があるんだなーと…。

http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4251
三好一秀に限らず、三好氏ってメジャーな割に系譜に分からないところが多いです。
之長(長輝、喜雲)と長基(元長、海雲)の関係もいまだに決め手がないようですし、いわゆる三人衆の三好政康(宗渭)と神五郎政長(宗三)の子・政勝(為三)の関係もはっきりしないし。
なので現役で三好氏の研究を専門にされてる天野忠幸先生の見解を知りたいなーと…。
で検索してたらこんなサイト見つけました。
http://researchmap.jp/read0139952/
研究者の検索サイトのようですが、結構充実してます。ウィジェット、いわゆるブログパーツもありますよ…!!
でも
ちなみに以前にも書いた、高国を探し出すのに真桑瓜で子供を釣ったという話は、「郷土の城ものがたり」では三好康長の部下とされてました。
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/11539591345551900233
康長=笑巌の活動時期から推定される年齢からして、今谷先生の「戦国 三好一族」の通りこの話は三好一秀でいいんじゃないかと思います。
ただ、三好一秀も「戦国 三好一族」では畠山義尭と共に飯盛山に木沢長政を攻めた際、一向一揆の大軍に討ち取られたとあるんですが、細川両家記には享禄5年顕本寺での三好元長の最期に切腹した人々として三好山城守が挙げられているとのことで、この人の経歴もよく分かりません。
天野忠幸先生の「戦国期三好政権の研究」、いつかどこかで読めるといいんですが…。