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ホリィ(新人)のことを語る

亀山本徳寺の方でも、天正8年4月の秀吉による英賀攻めでは1ヶ月足らずで攻略されたと認めています。
ただ、この時点ではもう石山十年戦争の終盤であり、すでに別所氏への支援や小寺方との戦闘で消耗していたこと、英賀という土地柄か門徒に交易業者が多かったことを早期敗北の原因としているようです。

また、町人と農民は姫路城下町に移し、残った門徒の多くは龍野に移されたとありますが、三木氏は元々いわゆる海の民の棟梁だったともありますし、町人や農民門徒とはまた性格が違うんでしょうね。

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こちらは英賀御堂本徳寺の鬼瓦で、永禄9年に三木宗大夫入道慶栄(英賀城主・三木通明)が寄進したものだそうです。


作者の宗右衛門は英賀落城の際、当時の城主・三木通秋の助命を条件として秀吉に仕え、姫路城など多くの建築に瓦大工の棟梁として携わったとか。

ちなみに三木通秋は母が赤松晴政の娘、妻が黒田職隆の娘…つまり官兵衛の姉または妹という関係で、龍野の赤松政秀を迎え撃った土器山の戦いでは援軍に駆けつけて窮地を救いました。
しかし、毛利氏が本願寺に与して織田方と衝突するに至って、官兵衛は小寺政職とともに英賀を攻撃しています。
大河ドラマでは完全にスルーされましたが、三木氏と英賀衆、赤松氏や小寺氏との繋がりは結構重要なポイントだったんです。

英賀衆の顛末はこちらのPDF「英賀御堂と亀山本徳寺」が詳しいです。
http://www1.winknet.ne.jp/~k-goboh/goboh-san.pdf

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そんなわけで西派ということで、今の本堂は明治6年に西本願寺の北集会所から移築されたものだそうで…。

これですわ!ババーン

ちょっと、切りすぎやでこれ。もう。

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天野先生の三好長慶新刊きたぁぁぁぁ 庶民にも割と優しい価格設定が嬉しい!
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[ここがポイント]
◎二次史料のイメージを脱し、事実に基づいて実像を描く。
◎戦国時代有数の武将ながらいまでは知られざる存在となった人物にあらためて光をあてる。
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目次
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はじめに――世界に伝えられた三好氏

第一章 「堺幕府」の崩壊と家督の継承
 1 三好氏と阿波、畿内
 2 天文の一向一揆
 3 越水城主として

第二章 細川晴元・足利…[全文を見る]

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妻鹿から姫路方面、亀山へ。
東西に走る山陽電鉄が飾磨から方角的には北に逸れて姫路に向かっているのですが、路線的にはそちらが本線なので乗り換えはありません。
ちなみに飾磨から西方面の終点が網干ですが、網干には昨年訪れてます。http://h.hatena.ne.jp/k-holy/11539592022238880034

亀山駅の地下道に描かれた絵がかわいい


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経塚跡から市川を挟んで対岸あたりにえらい煙が上がってましたが、何だったんだろう。


もくもく

妻鹿駅前から見た国府山城。
手前の提灯は「灘のけんか祭り」で有名な松原八幡神社の祭礼で使われるものだそうですが、今は大河ドラマに合わせて「軍師黒田官兵衛」になってます。
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国府山城の本丸跡

まあ、城跡らしい遺跡は特に残ってはいないのですが。

山には鎌倉から室町頃と見られる経塚跡や、磐座の跡があります。

地元では古くから信仰の対象だったのでしょう。
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妻鹿城(国府山城)址

顕彰保存会が建立したという記念碑には、室町時代の城主妻鹿氏、黒田家の子孫の方がそれぞれ名を連ねてました。


県立歴史博物館の講演でもそういう話が出ましたが、姫路城の真南に位置する国府山城は、昔は市川を遡って姫路城のすぐ傍まで船で行けたそうですし、更に遡れば小寺休夢が居住した増位山随願寺もあります。
この城は姫路の水運の玄関口としてかなり重要視されていたようです。
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そんなわけで姫路行ってきました。

まずは妻鹿から…

「築前さん」にお参り。

昭和52年に修築されたものだそうです。
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阪神♥近鉄

素敵な賞品げっとしてきた

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軍師官兵衛
再放送見ました。
英賀の三木氏に嫁いだ官兵衛の姉妹を登場させなかったのも、上月城主を初めから上月景貞としたのも、上月攻めを初めての身内との戦いとして葛藤を描きたかったのね。
実際には身内同士の争いなど日常茶飯事で、播磨でも赤松晴政と義祐の父子、浦上政宗と宗景の兄弟が争ってて、小寺氏もそれぞれに深く関わってるけど、その辺の背景は完全にスルーされてるので。
播磨国内での戦いを減らした分、ドラマを通じて描かれる官兵衛の成長も遅くならざるを得ないわけで、官兵衛がいつまでたっても評判ほど百戦錬磨の戦上手に見えないのは仕方ないのかもしれません。

鹿介のくそまみれ話披露は良かったな。こんな短期間じゃ尼子と毛利の関係とか勝久に至る系譜など視聴者に伝えようもないけど、少なくとも鹿介については印象を残せそう(笑)
あとは最期をきちんと描いてくれるかどうか…。

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命令形のタイトル
( ´-`)。o 0(…落ちろカトンボー!! というのを受信したけどタイトルでも何でもなかったわ…)

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ゴロゴロ山古墳、よく読んだら別名「釈迦山古墳」って書いてあったわ(°ω°)

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薬師山の由来と袋中上人


寛永14年に袋中上人が飯岡へ移り住んできて、それに帰依した奥林三郎兵衛が西方寺を建立。
翌15年、飯岡頂部の東の峰に薬師如来、西の峰に阿弥陀如来、南の峰に釈迦如来をそれぞれ安置、翌年に入寂したそうです。
東の峰→薬師如来→薬師山古墳 うん
西の峰→阿弥陀如来→阿弥陀山古墳 うん
南の峰→釈迦如来→ゴロゴロ山古墳 なんでやねん!!

袋中上人は明に渡ろうとするも果たせず琉球に上陸、浄土宗の布教に努めた念仏踊りがエイサーに影響を与えたとか。
さらにその念仏踊りは出身地のいわき地方に伝わる「じゃんがら踊り」だとかで…。へーへー

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これ忘れてた、旧端出場水力発電所。

なにげに土台の石積みとかいい感じですね。
ここまで降りてきた頃にはもう雨が結構降ってて、あまり歩き回れず…写真もどうしても白っぽくなって困りました。

マイントピア別子(道の駅)で展示見て食事してお土産買って終了。売店にあった写真集が欲しくなったけど我慢しました。

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第三通洞

電車が導入されていて、住民も乗ることができたとか。(当時の写真を見ましたがすっごい狭そうでした…)

旧火薬庫口

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