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ホリィ(新人)のことを語る
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三浦道寸といえば辞世の句が良いのですよ
「討つものも討たるるものも土器(かわらけ)よ 砕けて後はもとの土くれ」
朝倉義景の「七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空」と並んで好きな詩です。
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この日は仙台から伊達武将隊も来てました。


甲冑と陣羽織かっこいい。右端の変な格好の人は支倉常長さん。そう来たか…って思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/おもてなし武将隊
これに載ってるだけでも全国で20以上のグループが活動してるらしい。雇用対策も兼ねた地域振興ということで予算が取りやすいのかな。
「忍城おもてなし甲冑隊」とか、メンバーが渋すぎて分からない
>成田長親・成田氏長・正木丹波守利英・酒巻靱負・柴崎和泉守
米沢城の「山形おきたま【愛】の武将隊」、敵味方入り乱れすぎて面白い
>直江兼続・最上義光・前田慶次・楯岡光直…[全文を見る]
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今月も全く遠出せず写真が少ないので、またフォトライフの無料分埋めようと、朝から清盛隊の写真整理してました。
1月14日、歴史館閉館のときの。



もう4ヶ月くらいは生で見てないけど、1月5日は生田神社で演舞奉納するらしいので行きたい。5日なら多少は初詣客も減ってるかな…。
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痴情のもつれはうそですが、大内義隆と陶隆房の熱い関係は結構有名で[要出典]、たぶん相良武任や冷泉隆豊を絡ませた妄想ストーリーを展開されている方はどっかにいらっしゃるんじゃないかなぁという感じです。
まあ時期は遅かったですが義隆は実子もうけてるので、細川政元のように衆道一直線の魔法使いというわけではないです。よくあることです多分。
なお義隆の偏諱を受けてる毛利隆元と小早川隆景も幼少期に寵愛を受けたという話で、だからかどうかは分かりませんが、隆元は義隆が殺害されたと聞いて元就に仇討ちを主張したと言われてます。
実際には毛利氏も謀反以前に大内領を攻め取っているので、元々は義隆を隠居させて義尊を擁立する計画をで進めていたのではないか、とも。
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大内義隆は初めてザビエルに会った時、汚い格好で手ぶらで謁見したあげく衆道を批判されたことに怒って布教を許さなかったんですが、二度目は着飾って珍しい贈り物を持ってきたので大道寺を与えて布教を許したそうです。
義隆が痴情のもつれで実子の義尊とともに殺された後は、過去に大友氏から猶子に迎えられて義尊誕生とともに送り返されていた晴英が再び迎え入れられてます。そんな時期のクリスマス礼拝。
畿内は三好政権が足利義輝と和睦したかしてないかで、まだ晴元党とドンパチやってる時期ですね。
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日本初のクリスマスは天文21年(1552)山口の教会らしいけど、陶隆房が大内義隆をぶっころした翌年だった
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実は学生時代、結構な幕末&新選組ファンでして、研究会の会合に参加するため月に一度は壬生寺や光縁寺まで自転車で通ってました。
その研究会は年齢層的にTVドラマ『燃えよ剣』のリアルタイム視聴者が多く、土方ファンが主流を占めてましたが、僕は当時から斎藤一が一番好きでした。
思想的な主張をあまり感じない斎藤が会津に残って戦い、敗戦後も斗南まで赴いたという、その一点だけで土方よりも斎藤の生き様に惹かれてたので、今回のドラマ化でせっかく会津を主軸に描くんだから是非ともという思いがありました。
おそらく当分は会津も新選組も大河ドラマで扱われないでしょうし、本当に残念です…。
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八重の桜
見逃した最終話を再放送で見ました。
最初はあまり期待していなかったのですが、終わってみると、龍馬でも薩長でも新選組でもなく、会津藩に焦点を絞って明治維新を通して描いたという点で、貴重な作品になったなと感じます。
あとは、川崎尚之助という人物を世に知らしめたのは大きな功績なんじゃないかなと。この機会に発見された史料もあるそうで、正直自分も知らなかったし
欲を言えば、新選組と会津の関係ももう少しちゃんと描いてくれて、流山の敗戦後に新選組を率いていたのは斎藤一で、会津公の恩義に報いるために戦死した隊士達がいて、斎藤自身も斗南ま…[全文を見る]
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この二人は尼崎でよく見かけます。謎…



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父島には貞頼を祀る小笠原神社があるそうで、それも含めて面白いなぁと…。
JKのうちに一度は住んでみたかったです。
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また『歴史人』のブログから、もう1日過ぎてますが、この小笠原諸島の命名エピソードは面白いので
http://www.rekishijin.jp/rekishijincalender201312/1219/
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151年前の今日、12月19日(旧暦)は、江戸幕府が「小笠原諸島は日本の領土であること」を宣言した日だ。
寛文10年(1670)2月、紀州からミカンを積んで 出向した商人の船が母島に漂着。その乗組員7人は自力で船を作り、3ヶ月近くかけて八丈島までたどりつき、伊豆下田に生還した。
そのとき「八丈島からかなり南に無人島あり、先住民はいませんでした」と、下田奉行所経由で幕府に報告されたという。
5年後 …[全文を見る]
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どうもどうも、よろしくお願いします。
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『歴史人』のブログ
いまだに黒田家譜そのまま「目薬販売で財をなし」とする小和田氏の記事と、控えめながら奉公衆の佐々木黒田氏と黒田藩の繋がりに疑義を呈した大門先生の記事、これを同日に掲載するところが面白いなぁ。
小和田哲男氏
http://www.rekishijin.jp/kurodakanbei/owada/jhkdjashdksahs98791/
大門先生
http://www.rekishijin.jp/kurodakanbei/watanabe-daimon/jashkdjsa98789/
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ちなみに子門真人が歌う日本語版テーマソング(?)を知ったのはだいぶ後でした
※「燃え上がる正義の炎 暗い空をこがし 宇宙の平和を守るため ダース・ベーダを滅ぼすぞ」とかなんとかいうやつ
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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/316609887001646278
王冠とか、もはや 年がバレてもいい! だなこれ
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「本願寺史料研究所」というのがあるのもすごいなぁ。
http://shiryoken.hongwanji.or.jp/
西本願寺(浄土真宗本願寺派、分裂時の顕如-准如派)の団体のようです。
『浅井長政と姉川合戦』によると、湖北の門徒衆は石山合戦後も徹底抗戦を主張した教如派(後の東本願寺、現在の真宗大谷派)が大勢を占めていたそうです。
数少ない准如派の湯次誓願寺は石田三成の佐和山統治時代に湖北の真宗寺院として唯一、十石の所領を得ており、教如が門主を僅か1年で弟・准如に譲ることになった背景には、准如派を支持する三成の画策があったと言われているとか。
対する教如派は家康に接近したそうで、関ヶ原合戦後に幕府が再び教如を宗主に立てようとした際、分立させることを献策したのが、かつて三河一向一揆の折に家康に背いた本多正信というのも面白い話です。
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まとめてあった…また例のあのサイトだー
http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi66.htm
三河一向一揆って旧守護家の東条吉良氏が関わってたんですね。
そして吉良の語源は雲母だとか…キラキラネーム!?ちなみに上野介義央は西条吉良氏の末裔だそうです。
そういえば『新説 桶狭間合戦』でも信秀の代に河内郡(長島)を横領した荷之上城の服部左京亮が、願証寺を中心とした一向宗勢力の一員で、桶狭間合戦においても今川方として船団を率いて大高城下に乗り入れたとありました。
(義元の敗死で働き甲斐もなく去る途中、熱田を襲撃しようとして町衆によって撃退されてます)
この頃からすでに織田氏と一向宗勢力の対立は始まっていたんですね。
信長最大の危機とも言われる長島一向一揆では、日根野頭形兜で有名な日根野弘就が旧主・斎藤龍興とともに一揆方として参加しています。この人もなかなか面白い経歴ですね。
/ホリィ(新人)


