「本願寺史料研究所」というのがあるのもすごいなぁ。
http://shiryoken.hongwanji.or.jp/
西本願寺(浄土真宗本願寺派、分裂時の顕如-准如派)の団体のようです。
『浅井長政と姉川合戦』によると、湖北の門徒衆は石山合戦後も徹底抗戦を主張した教如派(後の東本願寺、現在の真宗大谷派)が大勢を占めていたそうです。
数少ない准如派の湯次誓願寺は石田三成の佐和山統治時代に湖北の真宗寺院として唯一、十石の所領を得ており、教如が門主を僅か1年で弟・准如に譲ることになった背景には、准如派を支持する三成の画策があったと言われているとか。
対する教如派は家康に接近したそうで、関ヶ原合戦後に幕府が再び教如を宗主に立てようとした際、分立させることを献策したのが、かつて三河一向一揆の折に家康に背いた本多正信というのも面白い話です。
