去年のは、あんまり好きじゃなかったんだけど、と思いながら飲んだら今年のクラノオトは好みの味だったので、何本か追加で頼んでしまった。
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せきららこのことを語る
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浅田選手のお母さんの訃報を伝えるニュース記事。
ニュース、という枠組みで、よくまあ、こういうドラマ仕立てに演出できるよな、と思う。もしかしたら、演出している、ことに気がついていないのかもしれないな。
全日本のフジテレビも危ないかもしれない。触れずに行ってくれたらいいけど。
(と、この段階で文句行っても仕方がないけどさ)
各選手に、訃報について意見を求め、さらに、競技結果を伝えるニュースでは
「悲報を乗り越え、演技した」と書く。
「皮肉にも母と浅田がともに情熱を傾けたフィギュアが母との最期の時を奪った形となった。」
とか、こういうの、常套句だと思ってるんじゃないかなあ。
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修造の挑戦好きはマジでなんとかした方がいいと思うよ。
「フィギュアスケートにはやっぱり挑戦が大事なんですね!」
とか、もー。それあんたが挑戦してる人が好きなだけだっつーの。
そりゃ、どのスポーツにだって挑戦は必要ですよ。
それと同じようにフィギュアスケートにだって挑戦が必要だと思いますよ。
でも、その程度だし、修造「わかりやすく難易度の高いものに挑戦してる人」しか評価してないじゃん。それを前面に押し出すの、どうかと思うよ。
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「あの子は失敗しない」と期待し続けられることは、若い選手に取って決していいことばかりではないと思うから、大きな大会でがつんと失敗するのも悪い経験にはならないわ、と思うよ、いい大人としては。
ミーシンコーチも笑顔だし、あっこちゃんの先生も「そんなに甘くないよ」って言ってるいうし、ちゃんと育てようとする大人は多少失敗したからって「大丈夫」という
言葉をちゃんと用意してるし、どーんといったらいいよ。どーん!と。
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がんばってる人にがんばれって言うべきじゃないっていうのわかるけど、でも言いたい。
がんばんなきゃいけないなんて思ってないから許してほしい。がんばれ。
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ああ……一目でも、会えたのだろうか。ああ……
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私をあまり怒らせない方がいい……という台詞、どっかで聴いたことあるな、と思っていたらリューさんだ。りゅーさんのあれってこっからきてるの?
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きみはらぴゅたおうのまえにいるのだよー
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40秒でバルスしな!
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おうちでみようおうちでみようってさっきから映画館全否定ですやん……
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職場でもMacで、自宅でもMacばかり使ってたら、久しぶりにさわったwindowsがむちゃくちゃ使いにくくてイライラした。
ちょうどwinXP→7にしたところだったから、と言うのもあるんだけど。
ただ、win→Macはそんなに使い勝手が悪い、とは思わなかったんだよねー。あ、あれどうするんだろ、とかwinで便利に使ってたフリーソフトが使えない、とかそういうのは割とあるけど。
夫が「MacはUIが洗練されているからね〜♪」とかいいだしやがったので、なんかむかついた。
でもまずいなー。仕事用ソフト(adobeのwebプレミアは、winverしか持ってないんだよ……)
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すまない!文章を、消したり書いたり頻繁にして!
料理とお菓子作りのあれこれについて書いているうちに、なんだか手作りお菓子崇拝者への悪口みたいになってきて、全体的にどうかと思ったから消したった!
最終的に何を書いたかというと
「手作りお菓子の評価は素人界でなされた評価であるだけだから、手堅く美味しいものを食べたいなら同じ数だけプロのお菓子を食べた方がいいよ!」
というのと
「手作りお菓子の方が安全・安心というのは、プロの仕事をなめすぎてるか、普段よほど衛生管理がどうか、と言うお店でしか買い物してないかのどちらかだよ!原材料、原産地にこだわって管理するのもいいけど、自宅仕事の衛生問題の方がでかいような気がするよ!」
の2本でした。やばい。感じの悪い結末だけ残った。
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と、書いては見たが、これも悪口か!
……でもいいわ。先に悪口言ってたの、あっちだもんっ。(私が言われた訳じゃないけど)。
どうです。みなさん。
公に口にする悪口は、悪口しか生み出さない。
非生産的であることが、よくよく、わかりましたよね。
悪口は、お家に帰って、鍵を閉めてから言いましょう!こそこそと。
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正直、老害と言う言葉以外浮かばないわ。
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というようなことを昔ちらりと言ったら
「意見を持つのは自由!」と返されてげんなりしたことがあります。
どんな場所であっても、言いたい放題、自分の心に浮かんだことを垂れ流してもいい自由、なんて、ない。(おまえが言うか、という感じだが)。
ただ、自由、って言うか、仕方ないことだとは思ってる。
「違うんじゃない?」と思うのも「甘えてる!」って思うのも、思ってしまうのは止められないから。
ただそれ、悪口だと思ってるだけ。
悪口を誰もが見ている場所で大きな声で言うのは、相手にとってもとても失礼なことだし「いいこと」ではないんじゃない?
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競技の選手が「プロ」か「アマチュア」かわからないような知識のレベルの人間が、インターネットに流れたニュース程度の情報量に反応して、自分の勝手な理想や精神論を選手に押しつけて叩いてるんじゃねーよ。
と、織田信成の靴紐の時も、安藤美姫の故障や棄権の時も、私は、そう思いました。
そういうの、ただの悪口だから、半径五メートルくらいの場所で言って欲しい。「意見」じゃないから。
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浅田選手、ファイナル欠場。心配。
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相手を、あんたは強い、弱いものの痛みをわかっていない、と言う人は、本当のところ、痛みなんかわかっちゃいないのだ。(安岡のおばちゃんにあらず。あれは、弱さで、ちゃんとそこを書くと思うから)
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スタジオの空気を、お茶の間に作り出すために伝わりやすいように「編集」するんじゃないのかな−。
もちろん、生放送で伝えて欲しいことはたくさんあります。スポーツ中継、ライブ中継。
視聴者のレスポンスを期待できるから、討論番組なんかも、生放送の意味はあると思う。
でも、バラエティは、ないなあ……。と、おもうんだけどどうだろうか。ないなあ、つまらないなあ、と毎回思うのに、テレビ側が凄くありがたがって居丈高に伝えてくるので(生放送である、と言うことを)毎回不思議に思っているのです。
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そう言えばわたし、テレビの「生信仰」の意味がわからない。凄くありがたがって、「なんと、4時間生放送!」みたいによく煽られてるけど。
何の価値があるんだろう。
バラエティや歌番組(紅白歌合戦をのぞく)に関しては「生放送」である必然性を全く感じない。「生放送による臨場感」だとか「生ならではのハプニング」など、それなりに面白いことを期待しているんだろうけど大抵はぐだぐだで、進行もお粗末。
同じ空間を共有しているわけで無し、そんなものに何の価値があるんだろう、といつも思う。
お正月の特番とか。ぐだぐだじゃないですか。
バラエティ番組なんか…[全文を見る]
/せきららこ