子どもも成長するし、親は成長するの。夫婦が成長するのと同じなの。
第一子を育てているときはわからなかったことが、二番目三番目でわかることもあるの。
そして親が成長するにも助けは必要なの。
介入が必要な家庭はもちろんあるでしょうけれど、子育てに未熟で社会との繋がりも希薄な若者から手当たり次第に子どもを取り上げるわけにいかないわ。
取り上げられた子がどんな気持ちで生きていくのか考えてみてちょうだい。日本の福祉施設や養子縁組制度、里親制度は夢のように充実してはいないのよ。
家族がなるだけ一緒にいられること、子どもが衣食に不自由しないことを前提に、月々数千円の給食費負担をどうするかを考えることだって出来るはずだわ。
必ずしも戸籍上の親がリアルタイムに納めるべきだとは、わたしは思わない。
「目の前の育ち盛りで多感な時期の子どもの食事を学校ぐるみで抜く」は「安易に肩代わりする」より問題だと思うわ。保険料だって年金だって何年も遡って納められるのよ。
視点が経費の支払いという観点に限定されているようだけど、大局的に見たらそれは率直にいって公平とは言い難いものだとわたしは思うわ。
それからね、子どもの養育に問題のある親はたとえ収入がどれだけあろうと何らかの援助が必要だろうとわたしは思うわ。
NHKの受信料か何かみたいに払うだけ損だくらいに思っている親がいるなら
そういう親には考えを改めてもらう必要が大いにあるけれど、
そのために社会が守っていくべき幼い子どもを犠牲にするようなことがないように
最大限配慮しないといけないとわたしは思うよ。
そういう親の元にいることで、その子がすでに犠牲を払わされているならなおさら。
路上に倒れていた瀕死のホームレス女性を運んだ救急車を病院が受け入れず、
警察も受け入れず、
地域の役所は非常食の乾燥米を生で渡しただけで水も与えず、
職員が取り囲む中で女性は冷たくなったっていうニュースが数年前にあったよね。
育ち盛りの子どもから昼食を抜いて
親からも学校からも教室の仲間からも見捨てられていると思い知らせて
それほどの犠牲を払ってたかだか数千円とりたてることにどんな意味があるの。
それが、いったいどんな風に社会のためになるの。
・学校から督促がきても親が給食費を渡してくれない
というような子どもの家庭は、
・朝食もほとんどない
・夕食も軽食ですまされる日が少なくない
・親は外でも家でも飲んでる
ことが少なくない。この状態にいる子どもの給食を抜く社会ってどうなの。
「子どもの飯を抜けばさすがに払うだろう」
「払ってないんだから与えるな」
というのは、ちょっと簡単すぎるんじゃないかなって思うな。
虐待を防止するというのは親に責任を問うというだけではないと思うよ。
自治体が教科書代を負担しなくなったら、教科書代を親から受け取れない子はけっこういるかもよ。そうなると義務教育ってなに? ってなるよね。
常連さんに「あの昨日から値上げしたんですけど大丈夫ですか」と言ってしまう気の弱さ。
数年前パートでちょこちょこ働いていたときより手取りが大きかった。びっくり。
投資額は比じゃないけどな。
バイト代ふりこんだっていうメールがきた。
手取りいくらだろう。もちおにお小遣いあげるんだ。
もう決まったことは仕方がない。がんばって新単価の棚で島を荒らしていこう。
「あいつにこんな単価で島荒らされちゃこっちは迷惑なんだよ!」
というお話が水面下であったんだろうなあ・・・。
「安い・早い・軽い」が売り物だったのに、大丈夫かのう・・・。
変なバイト先からの「単価値上げしませんか」というお誘いを辞退すること二ヶ月。
今朝「ほかの方との兼ね合いもあるので値上げしておきました」というメールが来た。
喜んでいいんだろうか。
それでは悲しみと向き合う作業に戻ります。
しくしくしくしく。
子どもって信頼する大人の話はちょっと考えたらわかるようなことでも一途に簡単に信じてくれたりするからね。一概に媚びとか相手に従おうという意志でそうなっているとは言えないとはてこは思うんだよね。
当時相手方は上司というか教師というか、わたしを指導する立場にあった人たちの教育的指導という場だったから、お友だちや恋人がいうような意味じゃないはずだという前提でずいぶん考えたんだよね。
それで、炊飯器のタイマーセットして、朝目が覚めるとご飯炊けてたりすると
「おお、深夜にことこと炊いておったか、かわいいやつめ」
って思うから、そういうかわいさを期待されているのかなあと思ったよ。
それで後日膝を詰めて話し合ったりしたけど噛み合わなくてねえ。
いま思うとふつうに私情で感情的になっていた男性が思い通りにいかなくてむきーってなって、自分の願いを言ってただけだと思うけどね。
「純真」ではなくて「媚び」のほうの「可愛い」であり、
「正直」ではなくて「従順」のほうの「素直」ってことなんでしょうね、きっと。
ほんとのことをいいます。
今日はとても悲しいことがありました。
ハイクしまくっても仕方がありませんね。
しくしくしくしく。
「かわいくない」「もっとかわいくなれ」もかなり言われたけど、
いま思えばあれは「言うことを聞け」だったのであろう。
子どもの頃は「すなおじゃない」「すなおになれ」もよく言われて、
「こんなにすなおな人はあまりいないくらいなのに」と思っていたけれど
いま思えばあれも「言われた通りに考えろ」だったのであろう。
うっかり自分は捻くれて愛らしさがないのかと思うところだったよ。
スピーチレッスンで声と話し方を極めたりなこさんではありませんか。
欧米の小説を読んでいると女性の身体的な魅力の描写にたびたび
「低く穏やかな声」
というのが出てきますね。