担任はいわゆる戦中派の、十代に戦後を迎えた人でした。どのような経緯があったかはわかりません。けれど私はそのときの担任の言葉には重さも痛みも感じませんでした。感じたのは単純な「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な心情を見栄えよく包みなおして合理化したようないやらしさで、不快でした。わたしは国旗や国家がなければ、違えば戦争がなかったとは思いませんでした。
いま思えば、何よりそれでも出征した人たちが日教組に抗弁する機会も弁明する方法もまったくなく、教育という双方の見方をフェアに教える場で一方的な見解を伝えていたことも不快です。個々の見解に敬意をはらい、尊重しあうことを教わったとは思えません。
子どもがなるだけ客観的に多くの情報を取り入れ、考えた末に将来同様の事態に陥ったとき自分は銃を取るか、兵役拒否で弾圧される道を選ぶか、またそのとき他にどんな道があるのかを考えることこそ必要なのであって、他人の決定を、それもすでに下された過去の決定を上から裁くような教育は建設的だと思えませんし、実に厭らしいものだったと思います。
私の祖父は軍人です。寡黙な人なのであまり戦争について自分から語らないのだと思っていましたが、母がむかし「子どもに話すのはやめてほしい」と言ったのだそうです。日本が間違っていたと宣言しない限り、ただただ断罪されてきた世代の人々の話を十分に聞けなかったことを残念に思います。母国を断罪しない限り受け入れられないとは、まるで敵国の捕虜のような状況だと思います。成人した大人から見た当時の苦しい状況を知ることは、当時の子どもたちが感じた痛みを知るのと同じほど価値があっただろうと思います。
そんなことはもう、過去を否定しさえすれば新しい見方を持っている気分になり、「戦争を知らない子どもたち」と誇らしげに歌って育った世代の話で、いまはもっと視野の広い見方がされているといいなと思いますが。
不快に思われたらごめんなさいね。
よたよたあひるのことを語る
