id:florentine は
犬&コロリのことを語る

ミステリ!
そうですよね。わたし、ほとんどミステリを読んでいないもので(クリスティでさえ片手も読んでません><)、さいきんこれはいかんと真剣に思い始めているところなので、おはなしとてもありがたいです。
夢野久作、再読リストに入れておきます!(はるか昔にかっこつけて読んだので、記憶の彼方すぎて、すみません)
 
視点と人称の詐術は、「信用できない語り手(騙り手)」の技法のひとつとして認知されていますよね。ナボコフにしても、ジーン・ウルフにしても、またジャン・ジュネにしても、この読者にさしだす情報の質や量やタイミングやら何やらが凄まじいことになっています。ここをちゃんと「凄まじい」じゃなくて語れるようなひとは、きっと超絶技巧小説をすらすら書けるのだろうと思ったり(ガンバレ、わたし! 笑)。
 
ところで、angmarさんは殊能先生の『キマイラの新しい城』は読まれてますか?
ミステリをオープンなハイクでおはなしするのは不穏当(笑)ではありますが、密室の件で石動探偵が熱弁をふるう箇所に、なるほど、物事をこうやって見るとひとびとがミステリをものするのだなあと感嘆しちゃいました(笑)。それとも、あのくらいは本格ミステリファンのあいだではきわめてノーマルなのかな?
 
はなしをもどしまして、視点人物の立ち位置は、読者の感情移入をも操作しますよね。こういう研究って文学方面でされてないのかな?
(ご存知の方、ご教示いただければ幸いです!)
ん~む。そこはある種の秘儀だから、隠蔽されてきてるのか。
inukororiさんのおっしゃっていた「村上春樹」の「ぼく」とか。研究されてそうな気もするけど、どうなのかなあ? 読者数を獲得する戦略として、感情移入しやすい「ぼく」は有効ではないかと考えたりしますけど、ん~、わたし個人がハルキさんに入り込めなかったひとなので、説得力ナイのですよね。
人口に膾炙する理由と「構造論」では、すでに明言したひとがいますよね。構造は、読者にストーリー情報があらかじめ開示されているみて、そこにわかりやすさを求めて感情移入しやるいと関連付けしてもよさそうに思えます。べつの言葉でいえば、形式化テンプレ化、または水戸黄門方式とか(笑)。
 
ただ、こうして書いてきて、これはある種の技術論、芸術論方面から攻めていくと早いかも、という個人的な指標は見つかったような気がしています。
「美少女」についても、もしかすると「美学」や「哲学」方面から行くという手もあるのかも。と、言ってみる(ああもう、ほんと、もっと勉強しとけばよかった!)。
ジェンダー論やセクシュアリティ論より歴史が長い分、個々人の「内面化」に深く関係するようにも思っています。ことに、日本の場合、明治以降に外国から輸入された学問からセクシュアリティに関する大きな価値変動があったでしょうし。
ん~、なんかけっきょく、明治政府の政策論とかちゃんと調べないとってことになるのかなあ?
ん~む、ん~む。敵が大きすぎて難儀ですなあ。ふう。
 
と、なんだかまたまとまりなくてごめんなさい。
いちおう、わたしのほうでは、
 
石井美樹子『聖母のルネサンス マリアはどう描かれたか』(岩波書店)
佐々木英也『天使たちのルネサンス』(NHKブックス)再読
カッシーラー『人間 シンボルを操るもの』(岩波文庫)
 
を読むつもりでいます。
上記ふたつは、聖母マリア論、ひいてはルネサンス期の女性論として。
カッシーラーは、タイトルどおりなので。とりあえず表象論の基礎文献的に。
遅々としてすすみませんが、まあ、気長に(笑)。
またなにか思いついたりしたら、ハイクにて叫ばせていただきます。
ではでは、いつものように長文ですみませんです。
よい週末をお過ごしくださいませ。