こんにちは。
ありとあらゆる一人称つかって小説かいて遊んでるわたしがお邪魔いたしまする(笑)。
今のような男女別の使い方は、おっしゃるように、明治以降の「標準語」、また翻訳や言文一致運動などと照らし合わせて考えるものなのだろうと想像します。
(吉原の廓コトバみたいなのもあるでしょうが、またそれは特殊すぎるのかな? 時代と場所の問題もありますよね)
それから、書き言葉と話し言葉の問題(リアルと虚構も含め)と、社会的階層や土地、公私(ハレとケとかも?)、対人関係または同じ相手でもシチュエーションの違い、はたまた内心の吐露と発話時の相違とか、もちろん性差(ジェンダー?)とか「性規範」とも絡むでしょうし、その他にもいろんな切り取り方があるのだろうな、と。
(だれか詳しいかた、教えてくださいませませ~)
あと、語尾(文末詞)とのセットで考えるのも楽しいです。
未読なんですが、コレとか面白そうだなと。
『ジェンダーで学ぶ言語学』
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=1470
以前にもハイクで書いたことがありますが、
この中村桃子さんの著書、
『〈性〉と日本語―ことばがつくる女と男』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140910968
それから、
金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/X/0068270.html
がとても面白くて興味深かったので、またまたお話しちゃいます(笑)。
そういえば、「日本語は天才である」って翻訳者の柳瀬さんがおっしゃってて、たしかに「天才!」って感動したりすることもあるのですが、でも、「万能」じゃないと感じます(まあ、万能ってソレ、魔法じゃないんだからってツッコミは当然ありますけど 笑)。
おはなしの「学校教育」やその他のことなども考え合わせると、「言語」のことは話題が尽きないなあって、途方にくれると同時にチョット自棄になったような気分で「やってやるぜ!」みたいなハイになる気もします(笑)。
