質問者「◯◯と◯◯(※ブランド名)どっちの服がオススメですか?」
蛭子能収「舟券が入れやすいポケットがついている〇〇がオススメです。」
散髪屋さんにあった雑誌「ポパイ」より
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質問者「◯◯と◯◯(※ブランド名)どっちの服がオススメですか?」
蛭子能収「舟券が入れやすいポケットがついている〇〇がオススメです。」
散髪屋さんにあった雑誌「ポパイ」より
結局のところ、我々は自分の内面から相手に相似したものを取り出して、それを拡大解釈して理解した「つもり」になることしかできない。所詮は他人事でしかない。だが、せめて他人の心を推し量ることはとんでもなく難しいのだという「謙虚さ」を持っていなければまずいだろう。
春日武彦「精神科医は腹の底で何を考えているか」
――私は「バラ物語」の一部分と、もう一つのお話を声を出して読み、奥方は満足してくれました。私が同じ言葉のつづりが変わっていることをいうと、奥方は、
「つづりは、人それぞれのこと」といいました。「私には私の好みのつづりがあり、すきなように文字をえらぶ。私の息子たちも娘たちも、それぞれ、すきなようにしている。おまえもそうであろう?」
「まちがえると叱られます」と私がいうと、奥方は、まちがえることなどあるはずがないといいました。そして、言葉は、だれでも自分の気分にまかせてつづればよいのであり、それが書くことのよろこびの一つであって、人には美しい言葉を作りだす自由がある、といいました。そして、おまえもいつもいつも同じつづりで書くようなつまらない者であってはいけない、といいました。
(アリソン・アトリー『時の旅人』)
「何も遠っ走りすることはねえや。あそこにサツが居るじゃねえか。あいつに言ったらいいや」
「いや、いかん。絶対にいかん」男はひどく狼狽した。
「こういうことはちゃんとした身分の、捜査課長か何かに報告すべきもんだ。あのへんのマッポはだめだ。どんなカン違いするかわかったもんじゃねえ」
「マッポ?」伏見は珍奇な単語に興味を感じた。「マッポって何だい」
「いいあんちゃんが知らねえのかい」男はちょっと軽蔑的に言った。「マッポはマッポさ、間抜けなポリってことだよ」
「ああ、なるほど。間抜けのマにポリのポか。知らなかったな」
「そうかい。千葉じゃ常識だがね。じゃ、アバヨ」
(天藤真『遠きに目ありて』)
博覧会は当世である。イルミネーションはもっとも当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。ただあっと云って、当世的に生存の自覚を強くするためである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる後家に帰って安眠するためである。
「虞美人草」夏目漱石
森永西洋菓子製造所(後の森永製菓)の名前の入った博覧会案内図
東京府勧業博覧会(明治40年 3月20日~7月31日)
「これまで面接などで高学歴の求職者とそうでない求職者を見てきて感じることですが、高学歴の求職者の方が、基礎能力やモラルについては総じて高いです。しかし、高学歴でもそれを十分に活用できていない求職者に共通するのは、自己評価の低さ。彼らは自分が何かをなし得ると思っていないので、自分の未来を他人任せにしているように見えます。このような求職者は、採用されても職場に埋もれてしまうか、仕事のストレスで潰れてしまうかで、あまりいい結果にならない。(以下略)
ダイヤモンド・オンラインより
…ひええ、あてはまっておるぞ。
私はびっくりするほど自己評価が低い。だから人並みの成果を出すには人よりやらねばと思ってたら疲れた。
まあ他の要因もあるけど。
家の若人らが用もない時刻に、退いて本を読んでいたのもまたその同じ片隅であった。 彼らは追い追いに家長も知らぬことを、知りまたは考えるようになってきて、心の小座敷もまた小さく別れたのである。
「明治大正史世相篇」柳田國男
“プライドの高い人”とは、一般に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識されることになる。( 中井久夫 (2011) p. 146)
中井久夫 『世に棲む患者』 筑摩書房、2011年。ISBN 9784480093615。
わたしかよ!とおもったので引用。
装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた。
夏目漱石 『心』自序
岩波書店の出版活動として処女出版となった、夏目漱石の『こころ』(1914年)
手摺の所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇(ものずき)な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。
「行人」夏目漱石
漱石も昇った日本初の鉄骨エレベーター(和歌浦)
夫婦が高柳君と顔を見合せた時、夫婦共「これは」と思った。高柳君が夫婦と顔を見合せた時、同じく「これは」と思った。 世の中は「これは」と思った時、引き返せぬものである。高柳君は蹌踉として進んでくる。夫婦の胸にはっときざした「これは」は、すぐと愛の光りに姿をかくす。 「やあ、よく来てくれた。あまり遅いから、どうしたかと思って心配していたところだった」偽りもない事実である。ただ「これは」と思った事だけを略したまでである。 「早く来ようと思ったが、つい用があって……」これも事実である。けれどもやはり「これは」が略されている。人間の交際にはいつでも「これは」が略される。
「野分」夏目漱石
僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、つまりは考えずに観るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。
「彼岸過迄」夏目漱石
昨夜寝る前にお布団で何かちょっと読もうと思って、たまたま買ったままそこに積んであった保坂和志「猫の散歩道」を手にとって読み始めたら、ごく最初の方でこんな一節に出くわした!
…
三浦半島で生まれ育った人から「保坂さんの小説には海辺の人間特有の怠惰さがある」という見事な指摘をされたことがある。自然を信頼している人間は怠け者だという意味なのだが、怠け者でなければ得られない充実感が外の人にはわからない。働いたら充実感が得られるなんて大間違いで、人生の充実感とは究極的には、江ノ電の駅のベンチにずうっと座って、海や山や空を眺めているときに得られるようなものなのだ。
外の人は、そのときの光を崇高で特別なものとイメージするだろうが、あるのはありふれた光だけだ。それで充分なのだ。
…
そうです。それで充分なのです!
元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜る社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議を攫んだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただ他の暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露にあるのだから、あらかじめ人を陥れようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者否人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様を、驚嘆の念をもって眺めていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。
(彼岸過迄 夏目漱石)
江戸川乱歩、夢野久作らの作品に連なる萌芽のようなものが見受けられる一節
金閣寺に放火した犯人が「美に対する嫉妬」と言ったり、「見物にくる人間への反感」と言ったという新聞記事の報道は、犯人がそのとき、そう言ったという事実を伝えているかも知れないが、犯人の本当の心がそれにつくされていると考えるのは速断にすぎるであろう。犯人というものが本当の心を言わないという事ではなく、人間というものが、真実を語ろうと努力している時ですらも、表現が思うようにできなくて、頭の中にあることと相当ヒラキがあるような、自分にとっても甚だ空疎でヘタな説明しかできなかったりしがちなものである。
坂口安吾
我が人生観(五)国宝焼亡結構論
講演会で「敵を撃墜すると気持ちがいいでしょう」と聞かれることがあるそうです。原田さんはこう答えています。
「とんでもない。まず落とされないで助かったとホッとする安堵感。その次に技術が彼よりも上だったという優越感。このふたつが頭をさっとかすめる。そのあと相手も死にたくなかった、彼の家族も泣くだろう。そう考えれば、気持ちがいいはずがない」
「接近戦で相手のパイロットが『もうやめてくれ』という顔をする。身ぶりまで見える。でも、撃たなければ次には自分が撃たれるから撃つしかない。罪も憎しみもない同じ人間にとどめを刺すのが戦争なんです」
(東京新聞2015.8.14社説「元ゼロ戦乗りの反戦論」)
開戦前の一九四一年秋、空母「蒼龍」への乗艦を命じられ、大分県の航空機でゼロ戦と出会いました。厳しい訓練を経て出港。戦艦、空母、巡洋艦などが集結した択捉島の単冠湾で「目標は真珠湾」と知らされました。原田さんの役割は艦隊の哨戒飛行でした。
攻撃隊が戻り、「軍港が火の海になりました」との報告があり、艦上は「バンザイ、バンザイ」と戦争に勝ったよう。電信員が原田さんに近づいてきました。ゼロ戦一機がはぐれてしまったのです。
「攻撃前、位置がわからなくなったら、誘導電波を艦隊に要求しろ、その電波にのって帰れるという話でした。電信員は『電波を要…[全文を見る]
でも、そういうみじかい文ではなく、ちょっと長い文になると、しろくまのことばではいいあらわしにくくなります。
ラジオで人間のことばをおぼえるまえは、弟が、
「にいさん、きょうは天気がいいから、川にいって、水あびをしてから、さかなでもとってこようよ。」
といったつもりなのに、お兄さんは、
「兄さんはのんきだから、川でおぼれているさかなに、水あびでもさせようよ。」
といわれたのだと思い、わけがわからなくなってしまったこともありました。
(斉藤洋『しろくまだって』p.33)
息子六歳がこのくだりをいたく気に入った模様。
ドーナツから剥がれ落ちた砂糖がきらきら光っている、空っぽの皿を眺めながら、キッドは、フレンチクルーラーをもう一個食べようかそれともよそうか、と迷っていた。
スズキの作るフレンチクルーラーは、キッドの大好物だった。
(穂村弘「早撃ちキッド」『いじわるな天使』(『いじわるな天使から聞いた不思議な話』改題)所収)
四年生になって歴史を習った時に、昔日本には「ひみこ」という女王がいたと聞きました。早速、家に帰って母に確かめたところ、母は大変驚いて、「そんな話は聞いたことがない」と言いました。母の時代には、日本神話からはじまって、歴代の天皇の名前を覚えたそうです。母は本当に時代が変わったのだと痛感したようでした。
(『光が照らす未来 照明デザインの仕事』石井幹子)