空耳ならぬ空目
あのね。私に取っては全く意味の分からない略語なの。(野球見ないから)
以下、すみまろ先生のハイクを引用します。(すみまろせんせい、すみません)
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0321 燕×公(神宮) まけ
0322 猫×☆(猫屋敷) かち(猫目線
0405 燕×虎(神宮) かち(馬鹿試合
0410 馬×兎(城南) かち
0420 猫×檻(猫屋敷) まけ(猫目線
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これを一目見て、なになに?町田(樹)のはなし?って思った私は、ちょっとどうかしている…よね。
(これはわかってもらえると思うんだけど「野生のウサギを二羽」という文章を、なになに羽生の以下略っていうのもさっきやった。)
あ、私、明日からゴールデンウィークです。どこにもいかないけど。
いつも、7cm角の方で食パンを焼いてるんですけれど、その中身をくりぬいて、卵とかを入れてベーコンも入れて、中身はさくさくにやいて、そういう料理を、つくろうかなーーーーっ。
さくらんぼ酒。ラムにつけた。ようやくおいしくなった(1年)

話の流れもわかるし、そういうことを言ってるんじゃないってこともわかっていますが
「真っ当なことを言ったつもりだったのに相手からクレーマー扱いされた」(その経緯は昔ハイクにも書きましたから省くけれども)経験を持つ私としましては「クレーマーのクレームは聞く意味ない」云々の言葉を見ると、ああ、私も、あのときそんな風に思われたのね、と苦しい気持ちになります……よ。
(とても個人的な事ですけれどね…本当に、完全にこちらをクレーマー扱いし「あーあーきこえなーい」的な対応もされたし、脅しも受けたし、軽んじられて悔しかったし、思い出すだけで嫌な気…[全文を見る]
私も、容姿ギャグは別にいいのよ。
そういう残酷な事も、世の中にはあるし、ブサイク代表としては哀しくなる事ではあるけど、考え方を変えれば「需要」ともいえるわけだし。
「容姿の残念な方」というキャラクターは、いるんだし。
でも、そこいじるなら、せめて、気持ちよく笑わせてくれよ、って事なんだよね。出来れば、笑わせるだけじゃなくて、いとおしいって思わせてほしいけどね。そういうこと、出来ない事じゃないからね。
相手を否定した後に、救うようなことを言うような
「お前は本当にだめな奴だ」「でも俺はそんなお前を助けるよ」なんてやり口は、9割9分、パワハラモラハラDV加害者の常套手段じゃないですか。
そういう相手にとっては、被害者がどうかわろうが、関係ないと思いますよ。見直してくれる事も、頭を下げてくれる事も、ない。
目の前からいなくなった瞬間は、困ったり悲しんだりしてくれる事はあるかもしれないけど、それは、被害者を愛しているからじゃないですよね。
本当に愛してくれる人は、どうか加害者から離れて、
少しでもおもしろおかしく日常を送ってくれ、と願っていると思う。
花子とアンに関しては
「いや、でもこれは、壮大な前フリかも」
というのは、ずーっと思ってたんだけどねー。だけど、もう、ちょっとそこにたどりつけない、という気分になってきました(要するに脱落しそうだってこと)
「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香る」っていうのは、
家という「名前」を象徴するものを、捨てるの捨てないのって話だよね?ロミオとジュリエットは家が敵同士、だから、この家(名前)を捨てるの捨てないのってやり取りは重要ではないのか。「愛の為に名前を捨てて!」
「あなたがどのような名前を持とうと愛しています」って言う意味なんだよね?
アンと花子の感受性が合致した事(アンが、シェイクスピアを読んで、そう書いてあったけど、そうかしら?と疑問を呈すわけだから)を書きたいばかりに、肝心要の「ロミオとジュリエット」の物語自体が破綻してる…[全文を見る]
蓮子と花が優れた言語感覚の持ち主である事は、現実世界に彼女たちが残した実績によって証明されているわけだけれども、このドラマのエピソードはそれを表現しているとは言えず想像の翼を広げた結果もあの程度で、これはもう作り手の想像力、言語感覚が追いついてないってことかしら、と納得する以外ない。
言葉を産み、育てる人を作家と呼ぶのならば、翻訳家も脚本家もなんなら歌人も作家と読んで差し支えがないと思うのだけれど、その作家(脚本家)が作家(翻訳家)を描く時に、翻訳家が言葉を紡いで育んだ人生を、翻訳家の人生に重ね合わせる事に何の葛藤も見られない、ってところが、なあ。他に書いてる方もいらっしゃるけど、オマージュのやり方が本当に下手。
ところで、本気で想像力豊かな人は、あの程度で「想像の翼」を広げたりしないと思う。
「翼を広げた」割には貧相な。
せめて書物で読んだ上流階級の暮らしを頭に巡らせて、一代悲恋もの紡ぎ出すくらいのことしてよ。映像的に同じ尺で出来るわよ。見てきた物しか頭に浮かべてないじゃないの。よってすなわち、あんなものは翼を広げるようなものでなく、相手の立場にたって想定したていどのものである。
翼は一度広げると大変なのよ。注意力散漫になるし、口がしらずに笑っちゃってたりするし、涙でたりするんだから。
あまりにイラッとしたので、思わずお題いれてかいちゃったわ…w
でたよ。安易なブスいじり。あれをやるには、かをる子様がきちんと「素敵」じゃないといけないんだけどそうは描いてない、モブにしたままキャラクターだけたたせてブスいじりされてもねー。
あそこで、蓮子さまが、級友に一瞬でも頭を下げるなら、まだ、ああなるほど、と思う所もあったと思うけれど、プライド高くてこじらせてるという描写であるにしろ、あそこであれが通っちゃうって言う所が、都合がよすぎるでしょう、って事だと思うんですよ。
「どうにもこうにも」日下直子
最新話と1話、ここでよめます。
http://comic.mag-garden.co.jp/eden/3203.html
この人のギャグ、好き…!
「まんが親3巻」吉田戦車
「青みゆく雪2巻」宇仁田ゆみ
異文化コミュニケーションではなくて、言語の違う人とのコミュニケーションとは何か、という所に触れようとして…終わってしまった。
「G線上のあなたと私 1 」いくえみ 綾
私ずっと、FF11というオンラインゲームをやっておりまして、とはいえ、今はもうほぼ引退、キャラクターは残してあるけれどログインしてない、という状態なんだけども、このゲーム、ちょっと前にFF14というのが出たんですよ。で、11ちゃんじだいのお友達から「やろうよ」って誘われてて…でもねえ、やり始めると、たぶんハイクにこなくなるかもしれないし、スケート終えなくなる気がするっていうか、両立は出来ないなあって思うんだよねえ…。
ところで、うちの夫は、FF11発売直後からのユーザーで、ほぼ毎日、欠かさずログインしています。ほそーくながーく、黙々と一人でとらきばをあつめてたり、聖水をつくったり、硬貨をあつめたりしていました。今、ざっと10年くらいを振り返りました。本当に黙々とやっています。ギャンブル用財布を用意してギャンブルをやる、みたいな微妙な堅実さを感じます。
「アナと雪の女王」の劇中歌「Let it go」日本語訳が全然違う、という話は以前から言われてて、特に、ああいう、希望に満ちあふれた歌じゃない、という話をみかけたんだけども、あの歌、松たか子は「あの歌詞そのままのまっすぐさ」では歌ってないでしょう?
「抑圧からの解放」に対する「エルサの期待」は感じるけど、それは「希望」ではない。
「次期女王だし、パパとママは私のことを考えてこうしてくれたわけだし、だから今まで黙って従ってきたけど、怯えて暮らすのはもうたくさん!」っていう、それが正しいってわけじゃないのはわかってるけど、もううんざり!から…[全文を見る]
主人公サイドが、主人公サイドにいる、というだけで、いろんなものが許されて、その結果まじめで善良な人の扱いが酷い、っていうのは、嫌なものだなあ、と思います。主人公サイドというのは、葛藤も、辛さも、苦しみもそのすべてを見せる事を許されている人の事。
この手の不公平自体は、実社会にもある事なのでなんとも思いませんが、「物語」であるならそこは理解させてほしい。
鈴木先生も言ってたよ。
「いまの学校教育は、我々が普段 思っている以上に、手のかからない生徒の 心の摩耗の上に支えられてるんだ」
それって学校教育だけの話じゃない。
あ、花とアンの話です。醍醐さんの育ちの良さ故のデリカシーのなさも、先生のまじめ故の厳しさも、彼女たちの美徳をなしにしてしまうようなものではないなーと思う。「そのように」書かれてはいないけど、これ、彼女たちに助けられてるじゃん、って所、おおいし。
フィギュアスケートは、美しい競技であるとは思うのだけど、それって実は見る側が勝手に受け取ってるだけの事で(美しくなければならないという評価軸はもちろんあるとしても)
スポーツである以上、技術や難易度を評価します、という方針を打ち出すのは、当然だなあ、と思う