
途中、色んな人が開拓した?経路に印が付けられてます。

どれが正解なのか分かりませんが、階段の方が足に負担がかかる気がしたので…

シュルシュルーっと…
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ホリィ(新人)のことを語る
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飯盛山には神社の脇から入っていきます。


なだらかな登山道を歩いて行くと、山頂と御机(みつくえ)神社の分かれ道。
御机神社は中世は牛頭天王社で、三好長慶の頃には飯盛城鎮護の神として崇敬されていたそうです。
そちらにも登山道はあるそうなんですが、時間が足りなくなりそうな気がしたので山頂方面へ急ぎました。

そこで出迎えてくれるのがこの急斜面ですよ。(写真ではいまいち分かりづらいですが)階段あるだけマシとはいっても運動不足の身には堪えます。
後方から地元お年寄りの軽快な足音が聞こえてきたので、これは追いつかれないよう頑張らないとって、一…[全文を見る]
朝おはようのことを語る
寺社巡り同好会のことを語る
健康体の不調を訴えてみようのことを語る
晩ごはん食べたのにまたお腹が空くんです…なぜだ…
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http://h.hatena.ne.jp/poolame/299841980042507425
( ´-`)。o 0(…
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実際に京都では法華宗の妙蓮寺、立本寺、本能寺が赤松勢の陣所にされるとして、これを破却すべしとの風聞が立ちます。
その後、河内では政元被官の上原元秀による義材本陣への奇襲攻撃が行われますが、京都へ帰還した赤松・浦上軍は本能寺、妙蓮寺に入ったものの、妙満寺は既に寄宿免許の申請を受けた政元方が制札を打っていたため、その門前で赤松・浦上勢と細川勢が衝突、妙満寺の仏殿・諸堂が焼け落ちるという事件が起きました。
政則は直前に政元の姉(洞松院)を継室に迎えたばかりで、嵌められたという思いが強かったと思いますが、政元との間で何らかの交渉があった…[全文を見る]
ホリィ(新人)のことを語る
明応の政変に際しての、義興と赤松政則の動きが興味深いです。
浦上則宗は明応の政変に関与していなかったと言われますが、むしろ赤松や大内も含めた多くの守護家が、計画の全貌を知らないままその一部に加担していたようです。
政変に至る原因となった畠山政長と将軍義材による河内親征には、義興も父に代わって参加していますが、最後まで河内には赴かず堺に布陣しており、京都での政変の知らせが河内の義材本陣に届くと、安芸や石見の国人達は堺に逃げ込んでいるそうです。
この時、赤松政則は若い義興と共に行動していたらしく、京都では両者が政元方に付いたことが噂…[全文を見る]
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マンホールのふたのことを語る
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きのこ

実物を見たかったけど、通り道には見当たらなかったよ…
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北西側の飯盛山麓にある四條畷神社の参道。
四條畷神社は小楠公こと楠木正行を祀るために明治23年に建てられた神社です。

鳥居を奉献したのは大阪朝日新聞社。扁額の裏には「大勲位熾仁」とありましたので、たぶん有栖川宮さんの揮毫?


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