薬師山の由来と袋中上人


寛永14年に袋中上人が飯岡へ移り住んできて、それに帰依した奥林三郎兵衛が西方寺を建立。
翌15年、飯岡頂部の東の峰に薬師如来、西の峰に阿弥陀如来、南の峰に釈迦如来をそれぞれ安置、翌年に入寂したそうです。
東の峰→薬師如来→薬師山古墳 うん
西の峰→阿弥陀如来→阿弥陀山古墳 うん
南の峰→釈迦如来→ゴロゴロ山古墳 なんでやねん!!
袋中上人は明に渡ろうとするも果たせず琉球に上陸、浄土宗の布教に努めた念仏踊りがエイサーに影響を与えたとか。
さらにその念仏踊りは出身地のいわき地方に伝わる「じゃんがら踊り」だとかで…。へーへー

これ忘れてた、旧端出場水力発電所。

なにげに土台の石積みとかいい感じですね。
ここまで降りてきた頃にはもう雨が結構降ってて、あまり歩き回れず…写真もどうしても白っぽくなって困りました。

マイントピア別子(道の駅)で展示見て食事してお土産買って終了。売店にあった写真集が欲しくなったけど我慢しました。
第三通洞

電車が導入されていて、住民も乗ることができたとか。(当時の写真を見ましたがすっごい狭そうでした…)

旧火薬庫口

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その他の別子銅山写真、東平編。
東平には最盛期で3600人以上の人が生活していて、学校や劇場なんかもあったそうです。

奥の山には雪が積もってました。


この建造物は貯鉱庫と索道基地跡です。観光スポット的には一番の見どころ?
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別子銅山の東平地区へ向かう途中にありました、「山の神」大山祇神社



どんでん丼、「新居浜ふるさと観光大使」水樹奈々さん一押しメニューだそうで

揚げたて野菜たっぷりでうまかったです
こっちは椀子王墳墓と伝わる「ゴロゴロ山古墳」
ゴロゴロ山て。



飯岡城跡は分からずじまいでしたが、GoogleMapsで検索してみたらこの丘陵地の外れに「城」という字があるようです。
木津川の流れがどう変わってるのかは分かりませんが、川に隣接した城だったんでしょうか。
川沿いに北上すると、草内の渡しがあります。対岸は十六の渡し。(今は山城大橋)
この辺りは河内と大和と京都が交わる要衝でした。
穴山梅雪が本能寺の変後に徳川家康とともに堺から東国へ逃れる途中、草内の渡しで郷民と諍いを起こして殺され、飯岡の村人によって葬られたと伝わっています。
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この階段上ったら…

薬師山古墳でした。

継体天皇の皇子椀子王の子にあたる櫻井王の墳墓という伝承だそうで、古い石碑には「桜井古墳」とありました。発掘調査の結果はっきり分からないということで呼び名が変わったみたい?
飯岡は三好長逸の居城があったところで、そっちが目的で行ってみたんですが、市でもよく分かっていないのか解説板等は見当たりませんでした。