前にも書いたことがあるけれど、スティーブン・キングの『ジェラルドのゲーム』で、サバイバルのまっただ中にあったヒロインが見たものが、本当だったことが最後にはっきりする、というエピソードがある。それは彼女本人ですらも最後には疑わしくなってしまいそうなほど、非現実的な存在だった。でも、それは現実のものだった。彼女の体験は本当のことと肯定された。
この存在があまりにリアリティにかけるとして評価を下げた書評もあったが、わたしはここでキングは凄い、と感動してた。
少なくとも、キングは被害者に何が必要かを知ってる、信用できる、と思った。
そんなことを、思い出した。
アイヒマン裁判は、世界を
>被害者が80発の鞭打ちを真実として安心して語れるようになる・する
場に変えることも目標のひとつにおいてあったらしい。だから、世界的なテレビ中継が行われ、できない国ではニュース映画が作られた。
それまでは、被害の全貌が周知されることがなかった。個々の場での個々の語りが、あくまで個人の体験で故に信憑性に欠けるものとして扱われていた。同情はすれどディテールは疑わしいと、陰に日向に言われていた。
それが、81発めのの鞭だ。80発の鞭打ちの経験を語るときに、81本目の鞭を覚悟しなければいけない、だから被害者は口を閉ざしていた。
アイヒマン裁判の膨大な証言者と証言は、それが全体の体験であり、例えば80発の鞭はほんとに掛け値なく80発であると信じてもらうために必要だった。
昨日『Major Crimes』見たら、いきなりベン・フェルドマン(ラブリーガルのフレッド)が出てきたんで、思わず同居人を呼んでしまった(笑) サイクスと電話番号交換してたから、これからも出てくる可能性ありなんだな。ちょっと嬉しいかも。
昨日石坂金田一『獄門島』見た。これもきちんと最初から最後まで見たことなかったっぽい。首飛ぶとこばっかり頭に残ってた。
夜、録画してた世ドキュのアイヒマン裁判を見た。81発めの鞭には誰もがなりうる。
被害者が80発の鞭打ちを真実として安心して語れるようになる・することは重要。一方で、この裁判を、アイヒマン本人は「自分自身の罪」の裁判とは受け取りがたかったろうとも思った。自分をだしにした政治ショーに巻き込まれた、とか思ってたんじゃないんかなあ。
なんか今日は眼が滑る、感じ。考えないといけないものが読めない。
ひどい口内炎ができて、かなりつらい。昨日のヒレカツとか、のたうち回りながら食べた。口も開きにくいくらい。
【スゴワザ】
他人・国に力を貸し(敢えて言うなら人の企画に乗っかり)、注文に応え相手に最大能力を発揮させるために、今ある技術を応用して更新し価値を上げていく、のが、日本の技術のあり方なんじゃないかと思うんで、このホッピング記録挑戦はおもしろいと思う。
いやーでも成り立ちを知れば知るほどあんま行きたくなくなるなあ出雲……
駅のホームの広さがすごい。
立地は観光のためかな?
富くじの金額もシステムもえらいことに。
ラスベガスか。
【ミニプレート】
結局、三分の一だけ食べて残りは持ち帰りにしたー
同居人と意志の疎通がはかれてなかったわ(彼女も持ち帰り)。