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遍愛日記のことを語る

3月23日 夕刻
86
 
 
 「ウソ……」
「うそじゃないわよん」
 あの高い、独特の声が頭蓋骨に響きわたる。
「い、いま何処にいるの!」
「そう慌てないの。どうせ貴女と同じ世界にはいないから」
 あっさりと言い切られて、私は椅子に崩れ落ちた。ガツンと音がして、足首を椅子に打ちつけた。痛みに呻いていると、呆れ半分で心配そうな声が問うてきた。
「ぶつけたの? おっとりしてるかと思うとそそっかしいのよね。気をつけてよねえ」
「うん。あの……」
 気持ちを打ち明けあった後、はなればなれになったことを思い出すと、異様に恥ずかしかった。それなのに、…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
85
 
 
 彼が何か言いかけたのに強引に続けた。
「断り文句じゃなくて。カレシがいたほうがいろいろ都合いいし、ものすごく打算なの。もちろん嫌いじゃないから付き合ってるんだけど、でも、自分から好きになるのはたいてい女のひとなの」
 電話の向こうで息をのむ気配にこちらが萎縮したけれど、先を急ぐ。
「私、綺麗な女のひとを見るとぽおってするっていうか、自分から寄っていきたくなるのね。友達になれるとうれしくて、誇らしいような、ちょっと征服欲入ったヨロコビを感じるの。高校のころの渾名はヒカルキミと撃墜王だったから」
「ゲキツ…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
84
 
 
 それは彼がEDで、いざとなっての自信がなかったからだと思うけど、言う必要がないことは言わない。それに、ここでやっと懺悔話が一巡だか二巡して、とにかくツナガッタと気がついた。
「浅倉くん、それこそ家父長制盛んなルネサンス時代の貴族の娘でもあるまいし、処女性や肉体は、その家族や夫の財産じゃないと私は思うのね」
「センパイ?」
 声が裏返ってるな。目を白黒させているに違いないが、私はそれを無視することにした。こっちにも、勢いというものが必要なのだ。
「かといってじゃあ、それは本人が管理して使用する資産かって…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
83
 
 
「オレから話してくれって頼まれてたんすよ。妹さんからもう一回きかれたらいったん保留してあんたの名前出して時間稼いで箱あけるからって」
「は?」
「なんか、妹さんのウケがいちばん良かったんですって。学生の頃に、好きな人がいないか聞かれて苦し紛れにあんたの名前出しちゃったんだって。それでもしもの場合は、あんたに妹さんのこと頼みたいって」
「頼むって……私、一度しか会ってないし、龍村くんが好きなの、酒井くんだったじゃない」
「そうは言えないじゃないっすか」
「そうだけど、でも……それより何より、そんな大事なこと頼む…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
82
 
 
「ミズキじゃダメなの。オレ、あいつの言うこと仕事なら聞けるけど、それだけじゃダメなんだって。百年は生きないでしょ? あとたった数十年じゃん。いいじゃんか、それくらいしてくれたって」
 いい大人だというのに駄々をこねている。しょうもないと呆れきっていると。
「オレ、あんたのそのちっちゃい頤で振り回してほしいの。そんでもってその頤つかんでめちゃくちゃキスしたいの、わかる?」
「な……」
「もう言っちゃうとそれだけ。っつうかその先もあるけど、言うと怒るでしょ?」
「アサクラ君!」
「ああ、そうそうソレ。センパイ喉…[全文を見る]

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3月23日 午後
81
 
 
 「ごめん。オレ、ほんとにすっげえ小心者なんだよ。本人に許してもらってないようなことなら、あんたに言えない。そいつ今はブロンド美人と結婚して子供もいて子供の頃の夢叶えて稼いで人生順風満帆で、オレが最初に勤めた会社潰れたときすぐ連絡くれて、もうそのときで和解してるっつうか」
 頭の中でいろいろなことを組み立てようとして、できなかった。男の子。オトコノコか。ひとつの予想は消えたな。自殺未遂。セックス。断片を拾い集めようとしていると。
「オレ、ほんとにあんたにだけは嫌われたくなくて」
「浅倉くん、あの、じゃあ…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
80
 
 
 「でもじゃなくて。オレのことだってわざと振り回そうとはしてないじゃん」
「ふりまわしてはいるみたいだけどね」
 我が事なので、断言は避けた。かるくいなされるかと思っていると、
「この程度でそう思うから、オレ、困るんだよ。オレが無茶苦茶するとこの人大丈夫かなってすげー心配なんだけど、ミズキ相手にぜんぜん怯んでないとこ見ると、やっぱオレが思ってる以上に強いんだなって」
「ミズキさんの場合は」
「あいつが惚れてるからだけじゃなくて、見てるともう、勝敗ついてるもん。あのプロデュース好きの奴がぜんぜん手出せなくて…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
79
 
 
 私は背筋をのばし、相手が何を言おうとするのか聞き遂げようとしたのに。
「なんであんた、他人のことだけそんなに鋭いのってマジで腹立ったりしたけど、オレの姉貴もそう。オレ、あの人にも一生頭あがんない。あんたは性根がなってないっていっつも言われてた」
 そんなことないよ。そう返して安心させてあげるところじゃないんだろうな、まだ。
「オレ一年、留学してるよね。あれ、勉強とか何とかじゃなくて、ヤバイことになって逃げたようなもんなんだよ。とにかく日本出て頭冷やせって姉貴にすすめられて」
 あんまり黙っていられても…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
76
 
 
 「はい」
 オーナーはゆっくりと、こちらの目の底をのぞきこむようにして口にした。
「誰に強制されたわけでもなく、自分でしたくて発表するんですから、好きにやるのがいちばんです」
「あの、私、すごく好きにかいてるつもりなんですけど……」
「じゃあ、その好きっていうのを、もっとかいたほうがいいような気がするなあ」
 私は次の言葉を失って、ただ、馬鹿みたいに相手の顔を見た。
 だって、何をかいても楽しいし、好きにやっていると思っている。それなのに、こんな言い方をされたんじゃ、どうしたらいいかわからない。
「私……」
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3月23日 午後
77
 
 
 「こんにちは」
 そのとき、のれんの外側から声が聞こえて、私は飛び上がるようにして膝をおこした。
「はい、いらっしゃいませ」
 声がちょっと、裏返ってかすれてしまった。振り返ると、制服に紺のカーディガンを羽織ったOLさんが立っていた。そのどんぐり眼は、私が泣いていたからではなくて、自分の予想した人物がいなかったせいだと、すぐにわかった。でも目をこすって言った。
「あ、ごめんなさい。鼻声で。花粉症なもので」
「ああこの時季、辛いですよねえ」
 調子をあわせてくれて助かった。
 銀行に行く途中か、帰り道か、彼…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 午後
76
 
 
 それからどのくらい時間がたったのだろう。
 覚醒と呼ぶにふさわしい響きで携帯電話の音が首の後ろを弾いた。まともな状態ではなかったようだ。ディスプレーを見るそのときまで、浅倉くんが何時にここを出て行ったのか確認するのを失念していた。自分の使えなさに舌打ちする思いで電話に出る。
「姫香ちゃん、今、だいじょぶ? 浅倉から連絡があって」
 ミズキさんの声にうなずくのが、精一杯だった。
「だいじょうぶ? どうしたの」
「ちょっといきなりでびっくりして……」
「命に別状はないし、ほんとに軽い怪我ですんだみたいだよ。も…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 正午
75
 
 
  言うよ、と返すつもりが柔らかく口を吸われた。先ほどの余裕は厚みのある唇に弄ばれて、やさしく丁寧な愛撫を引き換えに取り上げられていた。手放すことも惜しくないと思わせるだけのいたわりがあった。私を感じさせようとする執拗さではなく、臆病さゆえのもどかしさに思えた。 
 こんなに興奮してるのに、何もかもすごくゆっくりだった。煽られているのは自分のほうで、相手の余裕が憎らしかった。言ってることとやってることにズレがある。しかも、私には黙れと言ったくせに、自分は好き放題に言葉をたれながした。耳慣れた褒め言葉で…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 正午
74
 
 
  手首を握っていた力はゆるんで、すぐ離れた。けれど、次を言おうとした瞬間に口に掌をあてられた。
「あぶねえ……あんたに喋らすと、オレ、絶対聞いちゃうんだよね」
 顔の下半分を掴むように覆っている左手を両手で引き剥がそうと乱暴にひっかくと、楽しそうに喉をならした。
「一生あんたの言うこと聞く覚悟だから、今だけ黙って、オレのいうこときいてよ」
 あのね、そんなこと言って、という反論はくぐもった、意味をなさない音にしか聞こえない。
「オレ、ミズキにあんたをとられたくない。あいつあれで根はすごく優しいし、あんたが…[全文を見る]

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3月23日 正午
73


 いないのがわかっていたから言えた言葉だけど。でも、助けてもらいたかったのはウソじゃない。誰も傷つけずにいたいと願うことはこれが初めてじゃない。
 むかし、女友達にいい子ぶらないでよ、と罵られたことがある。いい子ぶっていたわけではなくてどっちも同じくらい大事だったのだと、当時の私は言うだろう。初めてのカレシだったし、クラスも部活も何も接点がないのに、なんでか仲良くなった女友達だった。
 彼女が、誰を好きなのか知らなかった。
 彼女から、自分のBFへのラブレターをどうやって渡したらいいか、またはどこへ誘い出…[全文を見る]

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3月23日 正午
72


なにを想像されているのか考えると気が抜けた。
「そう言われちゃうと、何にもなかったんだけど。子供だったからびっくりしただけで」
「チカン?」
「そこまでのレベルでもない」
 笑ってしまった。ほんと、笑ってしまった。
 とりあえず口にしないとダメだから。呼吸を整えた。
「子供のころ、ロリコン男に後をつけられたことがあるの。ただつけられただけで何にも別になかったんだけど。なんか、そのうちのひとりが浅倉くんに似てたような気がして思い出すのも怖くて。黒い服きた細身の若い男のひとってだけなのに。ごめんね、浅倉くんのせ…[全文を見る]

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3月23日 正午
71
 
 
 案の定、それから厄介なことになった。五限のマスコミ論でそいつと一緒になり、講堂の一つしかない後ろ扉から出るタイミングを掴むのに苦労した。送るよと友達とふたりでクルマに乗せられそうで、今からみんなで飲みに行くけど来ないと誘われて、冷や汗をかいた。無駄に笑顔が爽やかで、女の子の好きそうなクルマに乗っていた。とうとう彼女はそのグループに入り、気詰まりなのか一緒に来てよと請われたときに、都合よくお財布を忘れていて助かった。その男に奢るから来いよと口にされ、私は憤然と首を横にふった。驚きをあらわにして息をつ…[全文を見る]

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3月23日 正午
70
 
 こちらが絶句させられると思ってもいなくて、無遠慮に彼を凝視してしまった。空調の音だけがやけに耳についた。このロマンチストめ、と心中で堂々と蹴りを入れたはずなのに、髪を揺すって気持ちをたてなおそうとして、できなかった。そこへ、呟きがおちた。
「ほんと頭くる」
 自分で恥ずかしいこと言ったんじゃない。私のせいにしないでよ。
 そういうこちらの気持ちを察したのか、彼が苦笑して頭をおこした。
「や、まあいいけど、オレも悪いし。聞きたいのはあれでしょ? どうやって付き合い始めてるのか知りたいんでしょ?」
 なんだか…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 正午
69
 
 
 否定するのもなんだと、ゆるく左肘をかかえたままごまかすことなく伝えた。
「ふたりとも、もっといいひとがいるでしょ」
「そんな断り文句」
「通用するとは思ってないけど、なんかちょっと奇妙なことになってやしない? 急ぎすぎるっていうか。年なんだからゆっくり行かない? プレッシャーかけすぎだから」
「言ってる意味はわかるんすけど、ゆっくりしてるとセンパイ、絶対につかまんないから」
「たまには私から追いかけさせてよ」
 本音だ。ふたりとも早すぎるのだ。フライングだから、それ。ちょっとは手順を踏もうよって、私じゃ…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 正午
68
 
 
 私の視線に、すごくあわてた顔で横をむいた。それから、見られていることでどうやら諦めがついたらしく、ゆっくりと、こちらをむいて頭をさげた。
「すみません」
「……なんで謝るの」
「怒ってますよね?」
「怒ってるよ。でも、なんで怒ってるのかはわかってないでしょ?」
「や……それは、えっと」
「まあ私も正直よくわからないんだけど、勝手に変なこと妄想されるのも腹が立つし、自分を棚上げしてなんだけど、ふたりとももうすこし余裕をもって接してよって、あなた方には包容力とかいう美質はないのかって文句をつけたいとこもあるし、…[全文を見る]

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遍愛日記のことを語る

3月23日 正午
67
 
 
 その質問は、すごく的を外しているような気がした。いま泣いてる理由は、ここ、今現在に原因があるって考えるものじゃないだろうか。つまりは自分の訊きたいことを訊いただけ。首をふって否定した。
「うそだ。ミズキに」
「なんでウソって決めつけるの」
「じゃあ何で泣いてるんだよ」
 いま泣きそうな理由を説明するつもりが、そんなのはふっとんでしまった。
「ねえもうとにかく私のことはほっとかない? 私、九月に個展するって決めちゃったし、そのことだけ考えたいの。あと半年ないんだもん。美大も出てなくてこんな年齢で絵描きにな…[全文を見る]