だから人に責任という言葉を突き付けるなら、相手がその責任を果しうるために助力するという「責任」を同時にこちらも負うことになるんじゃないだろうか。実際には相手にはとても負いきれるものではないとわかりきっているような状況で、ただ突き放すためだけに言われるような、「自己責任」という言葉がなによりも暴力的なんじゃないだろうか。
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自己責任教の人は万能感に満ち溢れているなぁのことを語る
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それを言いたくなる場面も実際にはある。たとえば、授業を欠席する。で、「祖母が亡くなりました」「部活の大会がありました」「就職の説明会で」(だから欠席はなかったことにしてください)と言ってくる学生がわんさかいる。「もう一方の活動のほうが授業よりも大事だとあなた自身が判断したのだから、そのことについての責任はあなたにある」=「自己責任でしょ」みたいな。
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「責任」という言葉は自分に向けるものであって他者に向けるものではないってことかなと思う。「自己責任」を相手を糾弾する言葉として使ってる時点で何かを捨ててるよな、と。
/自己責任教の人は万能感に満ち溢れているなぁ