脳死を人の死として認める立場からすると心臓が動いてても脳死であるなら人ではなく死体として扱って(現行法上は本人が臓器摘出の意思表示を既にして家族が同意すれば)臓器を摘出します。でも、この立場、無脳症の子供はどうなるの、っていう問題があります。
で、脳死を認めない立場からすると心臓が動いてる限りは人であって死体ではないので臓器は摘出できません。
「人が人であるために必要なもの」というスレで死体の問題が出てきてるのであえて書きますが「人とは何か」ってのを死体から考えると死生観や宗教観にかかわってくる問題なので人ごとの最適解はあっても共通の正解ってないんじゃないかなあ、とつぶやいてみるテスト。
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Tips:プロレスラーは、ヒンズースクワットといって、最終的には三千回やってもらいます。最初は五十回で結構です。
では「人が人であるために必要なもの」とはのことを語る
では「人が人であるために必要なもの」とはのことを語る
【補足】
あまりわかりあえないけど、たまに通じるから、それが快感なんすけどね。針の穴に糸が通ってすっきり!みたいな
では「人が人であるために必要なもの」とはのことを語る
【マジレスすると】
他人の視線ってのは必要なんだろうな、とおもいつつ、他人から見た自己ってのはすべてを捉えられないし、また「他人の視線ってのを気にしなきゃやっていけない人」というのはそれこそ「ええかっこしい」になりかねない。つか、私はエロい人間っすけどハイクでもスーツ着てるときも隠して「いい人」を擬態してます。
「人が人であるために必要なこと」ってたぶん禅問答みたいっすけど、あえて答えるなら、必要なのは「こうありたい」っていう希望とそれを支える自我と実行力と、さらに客観視できる冷徹な視線と軌道修正できる柔軟さなんじゃないかと。
私…[全文を見る]
/では「人が人であるために必要なもの」とは