そこを、誤解しないでほしいから付け足しておきます。
私が言っているのは「個人間の性的な感覚の正否を第三者に判断してもらえ」ではなくて
「組織の中で立場を持つ人間の行動として適切であったかどうか」を判断してもらえ、です。
個人の性的な感覚を第三者が客観的に、判断するというのはもちろん無理っていうか、するべきじゃない。
判断するのは、あくまで組織の人間として適切であったかどうか、その行動です。
個人の感情や感覚は類推の範囲を超える事はないけれど、でもレギュレーションに照らし合わせて行動に対する判断と場合によっては改善を求める事は出来る。
法治国家が問題解決の為に採用している方法ってそういう事なんだと思う。
これはあくまで組織のコンプライアンスの問題なんですよ、って組織で対応するのが、個人を性的消費から守る術だと思ってたし、今も、そう思ってはいます。
もちろん、この方法が万能だと思ってる訳じゃないけれど。そんな感じです。