どんなに、どんなに「安全」という視点で考えたい、話たいってやってても、選手や連盟やコーチ批判と受け止める人は受け止めるし、正直その受け止め方が作り出す対立構造こそ無意味だよな、と感じてた。
未成年だろうが成年してようが、決断して行動したら、その責任はどうやっても本人が録るしかないって所があるし、実際それが間違ってるとか正しいとか関係なく、他者は「尊重」しか出来ないだろうと思ってるんですよ。
だから、「システム」の話なんだなーって思ってたし。それは今でも変わってない。
「選手が傷つくかも」っていう配慮は、もちろん大事な事だと思ってるんだけど、それはあくまで「想像力は大事」みたいなレベルで。「他者に対する言動とそれによって引き起こされる対象の感情」なんて自分の物ではないのだし、実際に傷ついているのは、傷つけてほしくないのは、多分、自分なんだと思う。
他者の傷と自身の傷の境界を曖昧にすることで自分の中で被害者意識が過剰に育ち、他者の為に何でも出来る状態…を私は警戒している。私、いかにもそうなりそうだし、なってる事、あるだろうし。
実際、好きな人や物が攻撃されてると痛いし辛いし、それは被害者意識でも何でもなくて事実なのだ。
だから、そこを掘らないようにしてるんよね。いつでもどこでも、やーみーーがーーひろがーーる−♪自信があるから。