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せきららこのことを語る

蓮子と花が優れた言語感覚の持ち主である事は、現実世界に彼女たちが残した実績によって証明されているわけだけれども、このドラマのエピソードはそれを表現しているとは言えず想像の翼を広げた結果もあの程度で、これはもう作り手の想像力、言語感覚が追いついてないってことかしら、と納得する以外ない。

言葉を産み、育てる人を作家と呼ぶのならば、翻訳家も脚本家もなんなら歌人も作家と読んで差し支えがないと思うのだけれど、その作家(脚本家)が作家(翻訳家)を描く時に、翻訳家が言葉を紡いで育んだ人生を、翻訳家の人生に重ね合わせる事に何の葛藤も見られない、ってところが、なあ。他に書いてる方もいらっしゃるけど、オマージュのやり方が本当に下手。