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せきららこのことを語る

日本語版れりごーについて、英語から日本語にするときに「怒り」が削ぎ落とされているっていうのは定期的にまわってきて、歌詞単体としてはそうなんだな、と思うだけなんだが、そっから、削ぎ落とされた「怒り」が、日本人には受け入れられない、日本人に受け入れられるには前向きにしなければならなかった、ってなるのが、そう、なの?かなー?って思うんですよね。

歌詞そのものの表現はともかくとして、私はあれ、ちゃんと松たか子が「怒ってる」感じがしたし、やけっぱち感もあったと思ってるし、エルサの表情や動きは別に前向きな感じもしないから、あれ、トータルとしてちゃんと怒りはあると思ってるし、それを感じてる人が少なからずいるから、「劇中歌」のレリゴーが売れてるって事も、あるんじゃないかな、と思うんですよ。
(もちろん、単純に歌詞が前向きで好きって言う人もいると思うし、そういう売れ方もしてると思うけど)

個人的に日本ぽいなーと思うのは、あのシーンの一見前向き、だけど芝居は怒ってるっていうレイヤー構造が通用するっていう点で、とはいえ海外じゃ通用しないかどうか、なんてことはよくわからない。だから本当は日本的かどうかも。
でも、とりあえず、「怒りを表現しないという抑圧があってそれが日本人的である」みたいな感じは、私は、してないかなー。

劇中歌なんでね。事実、歌詞だけで表現が完結してなくてもいいものなんだとおもうし、その歌詞取り出して「日本は〜」「日本人は〜」ってやられると、そう言う受け入れ方してないんだけどなーって思っちゃうんですよね。
画面と芝居と歌のトータルで、怒りとかを感じなくて、「こんな前向きなシーンじゃない!」って言うならわかるんですけどね。個人の感想として。

でもこないだ、音楽番組みてたらMayJが外国語版れりごーうたっとって、その訳詞が字幕で出て、最初からこーすれば良かったんじゃない、とおもいまちた。MayJのれりごー、初めていいな!と思いました。さすがだな、って。ああ、歌手にする意味あるなーって思ったよ。