私信?
>生き物を飼う人が元々責任感が強くて面倒見がいいというのは間違いです〜。
名言である。わ〜か〜るぅ〜。だってうちだって、飼い始める時は今考えれば、いーかげんにきめたなっ!って思うもの。「ペットショップで購入」だって、意識の高い人には眉をひそめられる行為ですしねー。
新婚(子供が産まれるかもしれない)・借家(引っ越すかもしれない)・うさぎを飼ってるという条件で
飼い始めた、と、とあるSNSで発言しましたら、そりゃあもうえらい心配されて(特にうさぎがいる、という点)、最終的には「愛情」まで疑われて(1匹に愛情を注げばいいじゃない!というようなことを言われた)まあ、そういう状況で飼い始めてますから、いーかげんですよね…。
もちろん、その時も、そして今も、その人たちがしてくれた心配も理解できるつもりだし
私たち自身、共存可能(物理的に居住をわけられる、だとかそういう事)であるかどうか、を
考えて飼ったつもりだったけれど、足りなかったかもしれない、という気持ちは今でも、ある。ずっとあるんじゃないかなー。
結局、その時は、犬へのストレス、うさぎへのストレス、いろいろと考えまして、考えて考えて考えて…
「飼うべきじゃなかったんじゃないか」「犬にもうさぎも、うちにこない方が良かったんじゃないか」
という所までいきまして…ああ、これはおかしい、善意のつもりのエゴが炸裂してる、と思って、そのことについては考えるのをやめました。だって、私は犬じゃないし、私はうさぎじゃないし、私が考える犬もうさぎも、その表情も、私がそう思ってるにすぎないのだし。だったら、私が、彼らの不幸を勝手に決めるべきじゃないじゃん?
この場合スタート地点は「犬とうさぎと、人間の共存」である。その中でやれるべき事をやろう、眉をひそめられることもあるだろうし実際そういう事例でもあるとは思うけど、でも、私の飼ってる犬(うさぎ)の幸不幸は、私にだってわからないわけで、だとしたら、条件だけ見た誰かが、それを、わかるわけはないのだ、と。
くだんの心配してくださった方は、物理的に割ける時間・条件を持ってして「愛情の分散」を口にされたのかなあ、とは思うのですが、その時、夫が「その人の愛情は、ケーキを切り分けるイメージなんだねー俺にとっての愛情は、ろうそくの
火を分け与えるいめえじ!!」と力強く言いまして、今考えると、前提条件全然違う、ちょっとへりくつ?なんですけど、ま、いいかー、とおもったのでした。しんぱいするって、むずかしいよね!