ここまで書いといてなんですが、私、「明日ママ」見ていません。
理由は、番宣とポスターが、だせえ、と思ったから(だっておもしろそうじゃないんだもーん)
「子どもが肩寄せ合って道ばた(のような場所)で眠ってる。女の子が一人だけ、こちらを睨みつけている」というポスターの暗さよ。
そこから「日本に現実にある、児童養護施設の施設」が「不幸も幸福も普通にある」場所である事はまず伝わらないと思う。「親に捨てられた子どもたちは不幸である」ということを前提とした物語を作ろうとしてるってことがわかるだけ。
番宣の芦田愛菜は常に叫び、攻撃的な言葉を「大人」に浴びせかけておった。
それは「衝撃映像」の作り方と同じ手法な訳で、それが施設の抱えるある種の問題を映像化した物だとしても、その問題にがっぷりよっつ、とりくみますよーという方法には見えないのである。(私が、ね)
ショッキングな演出を多用するってことは、児童養護施設とそこで生活する子どもたちが「特別な問題」を抱えている事を前提としている、ということだし、あの暗いトーンは、「闇」を表しているのかなんなのか知らないけれど、少なくとも、その闇の
非日常感、はんぱないですよねー。問題も不幸も幸福も、全部「普通」に書いてこそ問題提議して生きてくるテーマなんじゃないかなー。どう?そういうドラマ?
児童養護施設を舞台にして、そこで起こる事を「ショッキング」に描くなら、そこで日常を紡ぐ人達はそりゃたまらないと思う。そこが抱える問題を、非日常演出で畳み掛けるのは、そこにあるものを「特別な闇」扱いしてて、特別扱いしてる時点で、解決する気はさらさらないんだろうな、と思っています。