「私にとってのフィギュアスケート」がダンスであり,音楽であり,選手の顔であり,衣装であり,という事は、全く否定しません。 でも、「私にとっての」ってことは自覚しといてって事です。 「私にとっての」っていうのは、競技の本質とは全く別次元の話ですから。