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せきららこのことを語る

採点競技のあれこれって,全部知る必要はないし,わからないままみるのもとても楽しい事。
だから,本当にそれは好きにしたらいいと思うの。わかんなきゃ楽しめないなんて言うつもりは毛頭ないし,わかんなきゃダメなんて事,言うつもりもない。

ただ「わからないんだけど」と言いながら,わかったようなことを言うのは辞めてほしい,と言う気持ちはあるんですよね。少なくとも,私にはある。
わかったようなことっていうのは、つまり,事実誤認に基づいている,とかそういうの。
競技の本質とは全く違う所で「選手が美しくない」って言われるのだって,そりゃそうじゃない…?としか。

そう言う本質とは違う所で,選手を嫌いになるのも、選手が美しくない,と言うのも、また自由だけど(制限できないと言う意味で)それ,本質とは違うし,反論がある人は口にするよってことだと思う。そこに、ライトファンもスケオタも,違いはないんじゃないかなあ。

「本質と違う所なら嫌いっていっていい」ってこともないしね。
個人的には,そういうことって、いい気分はしないよ,やっぱり。
「わかってない」からいいとか悪いとか,わかってないから多めにみてよ,とかそう言う事じゃないと思うし。口にするのが悪いってんじゃないの。でも、突っ込まれる事は,そりゃあるよってこと。それだけ。

それで、そう言う突っ込みをを,怖い,閉鎖的、と言われてしまうと、もう,なんにも出来ないんだなあ,って思います。
怖いも何も,「わからない」と言ってるから,それ違ってるよ、であるとか、こういう見方がされているんですよ,と口にしているだけなのに「わからないながらも私はこう思うの」ってなるなら、それ、「わかってないんだし、そう言う見方していいじゃん」って事ですよね。いや,いいんだけども…見方も感情も自由だけど,わかってない事や違ってる事に訂正が入ったって話かなあ、と私は思うんだけど,違っているのかなあ。

それで、「見方は自由なはずなのにそれをさせてくれなくて怖い競技」って言われたら、もう、どうすればいいんだ,何もしないのが正解か,大きな大会の度に傷ついたり不快になったりするのは,こちらだけの問題で,気軽に発した言葉が選手の中傷に使われようと(現実問題)火が出てない間は水を用意すべきではないのか…とか,まあ,色々考えたんですよ。

色々考えたんだけど…まあ、どうでも良くなっちゃって…昨日みてたら,やっぱり,足元が楽しくてねえ。何年もみて,あ,スケートって足元だ,って私は思うようになったんだけど(もちろんそれは、私の楽しみかた)それが出来ているかで来ていないかはまた別の問題として,やっぱりスケーターは,足元が踊ってるなーって。

キム・ヨナの、リンクに描く弧の美しさよ。綺麗な正円と,その正円の中にある,スケートの緩急。もうこれで、観客は心に大きな○をもらった気持ち。ツイズルのよどみなさよ。あれ、凄い難しいんですよ。でも、ツイズル…だった?今の,位の早さと何気なさ。
浅田真央の,ステップのパワフルさ。めまぐるしく刻まれるトレース。ジャンプの軸の美しさ。重さもあるし軽さもある,と言う不思議な氷へのタッチ。優しい音楽も強い音楽も自由に操るスケート。
カロリーナの大きいスケート。雄大で、でも時々コミカルで。カロリーナはさあ,あのスピードから,ひゅっと止まるのが,すげえよね…
アデリナの勢いあるスケートは、若さ爆発って感じで,これから行くヨーーーって言う感じがいいよね…でも上手いんだよね…いや、うまいんだわ…

みたいな。みたいなみたいな。あーたのちかったね、ってはなし。