め以子がね、周りの人の事を思いつつも、根本的には自分の事をまず精一杯、自分の心に正直に、まっすぐに、何かを言ったりやったりする様子は、時にデリカシーがない事もあるし、わがままに見える事もあるし、相手を傷つける事もあるんだけど、でも、実は、西門家に一番必要なものは、それだと私は思います。すなわち、自分を、まず大事にすること。
「許してあげて」そりゃもちろん簡単にはいかないのでしょうが、「許せるか!」と吐き出す事だって大事なんです。許すにしろ許さないにしろ、いなくなった後楽しく過ごせてないんだから、折り合いなんて付いてないでしょ。折り合い付けて許せないならともかく、そうじゃないんだから、「許して」という台詞があるんだと思う。
なんで許せないのか、吐き出して、わがままいえばいーんです。それで結果的に、許さない自分を許して、折り合いをつけられるなら、それはそれでいーじゃん。
折り合いがついてたら、自分の許せない人間と自分の愛する人が仲良くしてようと、許す許さないの問題じゃない、と思うしかなくなるから、そもそも「会うな」ってことにはならなかったはず。あってほしくない、としても、その伝えかたは変わったはずです。