森田童子という歌い手はあんなに可憐な声をしていながら、ショックをもたらしますね。亡くなっていたんですか、4月に。投稿を見てググりました。発表はJASRACですか、誰もあの人のあの声を歌を守る人はいなかったのでしょうか。
わたしが初めて森田童子という人を知ったのは16のときでした。山崎ハコのオールナイトニッポンが好きで曲も聴くようになり、その当時、憧れの人だった27歳のサラリーマンから「ハコが好きならこれも聴いてごらん」ってメタルテープ(平成生まれはこれ知らないよな)たくさんたくさんもらったの。それが森田童子と大塚博堂。大塚博堂はそのときすでに亡くなってた。
憧れの人からもらったから喜んで年中聴いてました。メタルテープはすり切れないからね。で、今、そんな記憶も薄れかけてるのだけど、1曲1曲の記憶は大塚博堂のほうがあって(もしかしたら大塚博堂の曲について語られたかもしれない、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」の背景とか)断片的だけど曲単位で覚えてるのだけど、森田童子はというとサッパリで。申し訳ないくらい。ただ、森田童子というと「東京カテドラル」でその後、縁あって住んだところから東京カテドラルが徒歩圏内と知ってさっそく行ってみたことがありました。「ここがあの東京カテドラルなのか」と思っただけで涙が出てきて、悲しいわけでもないのに。ああ、わたし、あの当時、あの人のことをほんとうに好きだったんだなぁって、その頃気づいても遅いんだよねえ。だって、もうその頃すでに何度かの引っ越しでメタルテープどっかにいっちゃってたから。
そのあと「僕たちの失敗」がTVドラマの主題歌になって、それは知ってたしヒットしてうれしくなったけど、遠くに行っちゃった気がしてた。それより東京カテドラルでわーって甦ってきた感覚が歌声がサウンドが森田童子だったような気がします。もう一度、東京カテドラルを訪ねてみようかなと思います。余談ですが、全然違うけど、旧東ドイツ・ライプツィヒにある聖ニコラス教会でもなぜか同じような感覚になったことを覚えています。
ただの妄想の吐き出しになっちゃったけど、なぜか今、帰れる場所がひとつなくなったような悲しみを感じます。サヨナラ、童子。わたしの童子。