クリス・エバートが勝って、もう一試合残っているのに、老人は立ち上がった。スーパーマーケットの袋には煙草と魚の缶詰めと歯磨き粉が入っていた。
「君とホットドッグを食べられて楽しかったよ」
握手の時、老人はそう言った。
「テニスが好きなんですか?」
と私は最後に聞き、いや嫌いだ、と老人は答えた。
「息子が好きだった、イリ・ナスターゼというルーマニア出身のチャンピオンに憧れてね、どんなものなのか一度見ておこうと思っただけだよ」
そう言って、老人は赤い座席の列から離れ、帰っていった。
村上龍料理小説集. Subject 7. p. 66.