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勝手に引用のことを語る

  数年間寝たきりという不便な身体条件を知覚の深化に転じ、芸術活動へと昇華させたのは明治時代の正岡子規だ。「写生」を説き、俳句や短歌、散文の革新を進めた。
 思想家・文化人類学者の中沢新一(62)は、かつて子規の言う「客観」を「過激なコンセプト」「心とモノがひとつになって流通流動しあっている存在の次元」と評した。
 「健康に動くことと日常言語をしゃべること。この二つで人間は周りの自然から受ける情報の大半を無意識に捨象してしまう。動けないまま凝視を続けることで、子規は小さな庭が豊饒な自然に満ちていると気づいた。言葉を最小限に切り詰めてそれを表現し、日常感覚では見えないものを取り出すことに成功した」
 では普通の人間はどうしたら、そんな根源的な発想に近づけるのか。
 「切断の技術を持つことです」と中沢は提唱する。
 「ネット社会も世界金融もコネクショニズムの世界。現代はつながることが善であり、強力なイデオロギーになっている。でも、人間が作った情報しか行き交わない空間はトートロジー(同義反復)の世界ともいえる。遮断し、思索しないと新しい概念はつくれない。子規は小さな庭に理想型を見たのでしょう」
 世界の感触を全身で受けとめてこそ、新しい可能性が見えてくる。

朝日新聞朝刊. 2013.1.9. p.32. 希望は5 ローテク. メルロポンティの思想を手がかりに.