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勝手に引用のことを語る

 大衆との間に立って権力者と対峙する役割を期待されてきたのがキャスターだが、久米宏、筑紫哲也らが画面を去って以降、日本のテレビは顔を失ったままだ。いまこの政治家をあの人ならなんと評するだろうかーー。そんな風に思える独立独歩のキャスターはほとんどいなくなった。
 自らの意見を示すことがない特徴をもって米国の政治学者エリス・クラウスがかつて世界でも特異な存在だと指摘したNHKは、ますます組織統制を強めてもいる。
 記者やディレクターが本を出版する際、「リスク担当」の原稿確認者が、校了後の原稿をチェックするよう昨年7月、局内ルールが変わった。NHKは「職員への執筆要請が増えているため手続きを明確化した。上司の許可は前から必要だ」と説明する。
 だが実際は、震災直後の原発周辺取材を巡り、一部の職員が著書で組織批判をしたことが松本(正之NHK会長:括弧内引用者)の逆鱗に触れたからだと言われている。現在の許可基準の欄には「職場の秩序を乱す恐れがないか」と赤字で特記されている。
 テレビは内向き思考を強める。それなら視聴者はもう見るのをやめるのが賢いのか。
 帝京大教授(歴史社会学)の筒井清忠は、戦前期にメディアが劇場型政治に加担し、大政翼賛体制が生まれていく様を昨秋出した本に書いた。
 「無味無臭な報道の背景は、中立の名のもとに苦情やトラブルを恐れる、事なかれ主義があるだけ。諸々の権力と相対するジャーナリズムの魂が失われていないか、視聴者は批判的に見ていくべきだ。誤りがあれば他のメディアを使うなどして声をあげていくことも必要だ」
 テレビなんてくだらないと切り捨てるのではなく、もっと別の見せ方、報じ方があるんじゃないかと考えながらテレビに接することが大切だと竹峰(義和・東京大准教授、ドイツ思想・映像メディア論:括弧内引用者)は提案する。「ドイツの歴史が示すように、自由を奪おうとする権力者に迎合していったのは、メディアを皮肉る大衆でした」
 テレビに対する希望を捨てることは、大政に屈するのと同じだという。大衆を手なずけようとする人たちは、あなたがテレビを見下すのを歓迎しているようなのです。

朝日新聞朝刊. 2013.1.14. p.34. 希望は6 あなた. アドルノの思想を手がかりに.