近ごろ私の心に響いた言葉があります。岡山市のノートルダム清心学院の理事長を務めるシスター、渡辺和子さんが今年、『置かれた場所で咲きなさい』と題した著書を出版されました。その中にある言葉の数々です。
渡辺さんは9歳の時、二・二六事件により、軍人だったお父様を亡くされました。のちに30代の若さでノートルダム清心学院の学長となられ、27年間、在職されました。85歳で出版された今回の著書には、次のような人生の金言がたくさん詰まっています。
「(人を信頼するのは)98%にしなさい。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておきなさい」「私も間違う余地を残しておいてほしいから。誠実に生きるつもりでも、間違うこともあるかもしれない」
その通りだと思います。聖書の言葉にも、「自分の罪が許されるように、人の罪をも許すこと」とあります。「裏切られた」と落胆するのではなく、その人を許すことが、ひいては、あなた自身を救うことにもなるのです。
(中略)
自らの不遇を嘆く人々にも、渡辺さんはこう語りかけます。「置かれたところこそが、今のあなたの居場所」「咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。」励みになる言葉です。陽が当たる場所があれば、日陰もある。昼もあれば、夜もある。夜が長く続いたなら、私たちは窓を開け、月の光を入れて過ごせばいいのです。
画家で詩人の竹久夢二の詩をもとにした「宵待草」という歌をご存知でしょうか。
「待てど暮らせど 来ぬ人を/宵待草の やるせなさ/今宵は月も 出ぬさうな」
月のない夜も、この歌を心で唱えば、辛さに耐えることができるというものです。
マザー・テレサは信仰心を、貧しい人々への奉仕という行動で表しました。私たちは不幸に出合うと「なぜ私が?」と周囲を恨みがちですが、辛い経験をしてこそ、初めて他人の辛さも分かり、思いやりの心が芽生えるのだと思います。
相手を許す「2%」の余地. 日野原重明. 101歳・私の証 あるがまゝ行く. 朝日新聞土曜版 be赤版 p. 5 2012.10.27.