id:dominique1228
勝手に引用のことを語る

 試験に思いどおりの問題が出て、いそいで書いた答案を、ろくに読み返しもせずに教壇へ持ってゆき、級の誰よりも早く教室を出ることができたとき、午前の人気ないグラウンドを校門の方へよぎりながら、国旗掲揚台の旗竿のいただきに、金の珠がきらきらと光っているのを見る。すると、えもいわれぬ幸福感に襲われる。旗は掲げられていないから、今日は祭日ではない。しかし今日は自分の心の祭日であって、あの珠のきらめきが自分を祝福してくれるのだと思う。少年の心はやすやすと肉体を脱け出して詩について考える。この瞬間の恍惚感。充実した孤独。非常な軽やかさ。すみずみまで明晰な酩酊。外界と内面との親和。……
 彼はそういう状態が自然に訪れてこないときには、何か身のまわりの物を利用して、無理にも同じ酩酊を呼び出そうと試みた。たとえば虎斑の鼈甲のシガレット・ケースを透かして部屋のなかをのぞいてみること。母の水白粉の壜をはげしくゆすぶり、粉がやがて重々しい乱舞のはてに、上澄の水を残して、徐々に壜の底へ沈殿してゆくさまを眺めること。
 彼はまたなんの感動もなしに、「祈祷」とか、「呪詛」とか、「侮蔑」とかいう言葉を使った。

詩を書く少年. 三島由紀夫. (花ざかりの森・憂国. 新潮文庫. p. 96)