直径30cmほどのすり鉢の襞の走る腹に、皮をむいて酢水にさらしておいた自然薯を直接あててすりおろす。下ろし金を使うよりも白く細かく泡立って、粘り気のある実が側面にへばりつく。それをスリコギですり、卵をおとしてさらに混ぜあわせるようにしながら、あらかじめ煮立てて適温に冷ましておいた、ちょっと濃いめの出汁を加える。お玉ですくって、少しずつ襞にあてて流し込み、それをゆっくりとかし込むようにするのだ。出来上がったあたたかいとろろ汁は白いご飯にかけ、焼き海苔を添えたりして、さくさくと何杯も食べた。子どもの頃、毎年秋になると繰り返された風景である。
上京して大学生になり、東京育ちのあたらしい友人と安食堂に入ったら、お品書きに「とろろ定食」があった。頼んでみると、山芋のすりおろしたものが小さな器に盛られていて、わさびと海苔が付いていた。出汁は使われていなかった。私はずっと親しんできた、おそらくは「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」と芭蕉に詠まれた時代と変わらないだろうものと目の前の品との相違について説明した。友人は、こちらじゃそんなふうには食べないよ、でも、うまそうだ、と笑った。
――堀江敏幸. 響きのない鐘をつく 自然薯の秋. 朝日新聞土曜版. 作家の口福. 2012.9.15.