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しかしこの「やはり」というのはワタシにとって(だけではないと思います)二重でして、というのもワタシ最初にこの人をテレビで観た時——5〜6歳だと思うんですが、沖縄政務次官騒動よりも前ですーーガキの勘という奴ですね「ああ、この人は今凄く嫌われているな。頭が良すぎ、欲求不満やアンビバレンツが強すぎるのだから仕方が無い。でも、きっとやがてこの人は、本当は良い人で、みんなに愛される人だという事に成って死ぬに違いない」と、言葉に翻訳すると大体こうした具合でしたんで、この「やはり」は数十年がかりだったという訳です。
ワタシは多くの人々と同じ様に、昭和には故人が危ない発言や行動をするたびにハラハラしたりイライラしたりしていたのが、同じ事が平成になるとホッとするようになりました。完全に愛されたら死ぬぞ談志。自殺願望さえ押さえつけられたままで。と思っていたからでしょうか。しかし、ホッとしたりする等という事自体、そもそも愛する外野の営為であって、つまり結果愛している訳ですから、こんな絵に描いた様なアンビバレンスはありません。アンビバレンスが一貫性を磨き上げた人生。などとまとめのようなコメントは、故人に対してだけでなく僭越に過ぎるというものですが。
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菊地成孔公式サイト 「第三インターネット」 2011.11.24 「アルバム制作快調/立川談志死す」より