習い事、子どもの頃の私はと言うと、方々に手を出したものの、塾に行かされることになりそこですべて終了。小学校までだった。
両親がやるよう進めたのはスイミングと習字だったと思う。
スイミングは幼稚園から。中耳炎にもなったし、怖い先生もいて通うのが嫌になったので、バタフライできるようになった時点でやめさせてもらった。
習字は小学校1年から、二段を取るまでやったけど、中弛みして生意気な態度を取っていたから、うまくなるはずがなかった。
ピアノは友達がやっているのを見て、なんだか羨ましくなって自分からやりたいと言い出したと思う。母のピアノが家にあったので、習うのは問題なかった。でも練習が嫌すぎてしない→レッスンでもちろんできない→できないからおもしろくないという自業自得スパイラルに陥り2年くらいでやめた。
そろばんは近所に先生がいたからという理由で始めたけど、3級いくかいかないかくらいでこれもドロップアウト。何くそ!という根性がなくて先に進めない。
エレクトーンだって一時気になってた移り気の私。長く続けられない。そんなだから、塾へ行かされるようになって習い事はすべて終わった。終わってから、私が本当にやりたかったものが何か気づいたけど遅かった。
幼稚園から通っていた絵画教室。これだけは塾に行こうが続けたかったのに、両親を説得できる材料がなかった。やりたいことを何でもやらせてもらったのに、努力しないで続かない娘の言い分なんて通るわけない。
あのときの喪失感は記憶力の悪い私でも覚えていて、よっぽど悲しかったし、後悔した。
塾は何にもおもしろくなくて、いやいや通っていた。もう算数が難しくなっていてわからなかった。
紀野小梅のことを語る