すっかり有名になった相澤病院には、父も母もお世話になった。
相澤には勤務医として父方の私のいとこが働いていて、父が検査で出向いた時にはいとこがあらかじめ叔父だと言ってくれていたようで、どこへ行っても先生にはお世話になっていますと挨拶され、とても気を使ってもらったようで、検査から帰った父はご満悦で、それはそれは自慢げだった。
父の長兄のところのそのいとこはとても優秀だったけど、高校を卒業するときに大学進学は許されず、一度は普通に就職した。
その何年か後に突然、医学部に受かったから大学行く!と宣言して、奨学金をとって自分で貯めたお金で入学金を払い、さっさと学生になってしまった。
驚いたけど、医学部という言葉に圧倒されて何も言えなくなった伯父と、それを聞いた父を含む叔父叔母の喝采。
優秀ないとこが大学進学しないことをみんな惜しいと思っていたのだけど、長兄は厳しいひとだったから年下のきょうだいたちの言葉は聞かなかったので。
その後いくつかの病院で働いた後に、現在の相澤病院へ。
専門科で有名な医師になった。
そんないとこが父は自慢だった。
相澤は長野県でも一二を争う高度な設備を持った病院で有名で、小平奈緒選手が所属していたのはユニフォームでなんとなく知っていた。
今度のオリンピックの報道で、病院が全面的なバックアップはしていても、それを広告的に前面に出さず、とにかくスケートに専念できるような環境を与えていると知って、あらためてすごいなあって思った。
父がいたら、あいつのいる相澤はすごいだぞって、また私に自慢してきただろうなと、ふと思った。