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読了のことを語る

三島由紀夫『小説読本』中央公論新社

「おれは誰でも小説が書けるなんておもってる輩が大嫌いなんだよ、そう思われてる小説の「曖昧さ」「自由さ」に苛立つんだよ、だいたい日本の小説家のいうところのリアリスムなんてやつはフニャフニャくねくねしてるだけで形も何もあったもんじゃなくて気色悪い、鷗外を読め! 徹頭徹尾言葉というものに拘らないやつが小説なんて書くんじゃない!!」という三島の「叫び」(超訳わたしw)が胸をついて致し方ありませんでしたまるw
うん、ごめんなさい、小説へたくそで本当にごめんなさい
でもわたし、不断に書く、ていうことだけはちゃんとしてるし、ここで述べられていることどもはそれなりに理解してるつもりだから、もうちょっと待ってね
という、個人的な感慨はともかくも、
小説家の小説論というのは、恋愛論等ではさらっと古典を題材に戯言をいってすますこともある三島のようなひとですら、ほんとうに糞真面目に語らざるを得ないところがあるよなあ、と
小説家って嘘つきなのに、小説のことばかりはウソつけないよなあ(いや、多少ついてるつもりなのかもしれんがw)
まして、三島は本当に小説のこと以外も真面目なひとだっただろうに(この場合の「真面目」についての説明はなかなかに複雑なんだけど、韜晦や演技、それこそ「仮面」の問題に触れないとならないから、でもまあ、ここは社会人として礼節がありマメで世間から外れないっていう程度の意味でお願いします)、小説のことはひたむきで熱心で誠心誠意で、なんていうかもう、イタイというかアツイというか胸苦しくてたまらない
しかも、この言葉たちが当時も、そして今も、どこまで届いているのだろうとあやしまずにはいられない
「小説は正当な読者を失ったのである」と書き記す三島の危惧は、残念ながらあたってしまっていることとおもう
小説をかくひとはもちろん、小説って一体全体なんだったっけ?
とおもうひともまた、この本をひらいてみると何かしら面白い発見があるんじゃないかなあ