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勝手に引用のことを語る

京都大学文学部100周年記念誌所収:文学部で学んだこと――100年先の世界のために
http://www.kitashirakawa.jp/taro/bungakubu.html

文学の研究とは、無数の人々に読まれてきた res publica (公共財産)としてのテキストを守り、次世代に伝える仕事のことであった。他の学部の研究が、現実に役立つものを成果として期待されることが多いのに対し、文学部の研究はいつも「普遍」や「理想」をテーマとし自由に議論することが許される点で「学問」の王道を行くものである。だが、この道を生かすも殺すも結局は「人」次第なのだと思う。論文の数を競ったり競わされたりする態度は、「私的な問題」(res privata)に執着することを意味するのである。だが、学問の意義はそのようなところにあるのではない。同様のことが教育に関しても言えるだろう。人を育てる道とは、畢竟「私」を超えた「公」の存在としての「人」を育てることである。再びキケローの言葉に耳を傾けるなら、res publica と呼びうるものは時空を超え、永遠に存在し続ける。また、人間にはそれぞれの立場でこれを守り育てる道が開かれている。今私は論文を書く者ではないが、「100年先の世界のために」という志は、新しい仕事の中で変わらぬ意味を持ち続けているのである。
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こないだTLで、そんなに企業(社会)が実学とかツカエルとか求めるなら、それこそ企業がそういう大学つくりゃいいじゃん、ていう発言があって
うん、だよなーって思いましたまる