日米仏の思考表現スタイルを比較する
──3か国の言語教育を読み解く──
渡辺雅子[国際日本文化研究センター助教授]
「ここには、「自由」を重視している方が結果的に「規範」にとらわれ、「規範」を重視している方が結果的に「自由」な多様性を生む、というパラドックスが見られます。型を知らずに「自由に書け」といわれても、いったい「何から」自由になればよいのか分かりません。その結果、「起こったことをありのまま書いて時系列で気持ちの変化をたどる」という書き方が逆説的に唯一の型になってしまうのです。」
「アメリカもこのギリシャ・ローマ時代以来の伝統を受け継いだのですが、すでに19世紀半ばから、科学的方法の信奉や評価の数値化の導入などによって、作文法や言語教育のあり方を社会状況に合わせて革新し続けてきました。実は、アメリカで現在のような小論文の型(主張→三つの証拠→結論)が生まれたのは、歴史が比較的浅く、1960年代後半に大学の大衆化が起こった時でした。さまざまな経済・社会的背景を持つ学生が大量に大学に押し寄せた際、アカデミックな文章が簡便に書けるようにと、大学の先生たちが必要に迫られて考案しました。主張を分かりやすくするため、先に述べたフランスの小論文で用いられる弁証法からアンティテーズ(反立)を取り去って自分の主張だけを前面に押し出す方法です。反立を抜いたため、必然的に統合の部分も抜け落ちました。これが標準になり小学校にまで広まりました。こうした小論文様式からは誰にとっても分かりやすい、書きやすいという意味で大衆デモクラシー的な理念がうかがえます。それに対してフランスでは、理想を高く掲げ、それは万人によって達成されなくても仕方がない、という理念がうかがえます。」
「 様式の違いの意識化と使い分けは新しい提案ではなく、2000年前にローマのクィンティリアヌスが、目的に応じて自由に様式を選び、ときには違う様式を組み合わせて独自の効果的な表現法で伝達することを作文教育の最終目標に掲げています。自由に表現するためには、その前提としていくつもの様式の習得──つまり型の訓練が必要不可欠なのです。
そして、まさに「物語」「説明」「論証」という3大基礎様式の違いが分かり、書けることこそグローバル・スタンダードを満たす知識・学力といえます。世界の多くの国で初等段階から英語教育が行われるようになりましたが、英語がいくらできても、共有された様式で書き、話さないと「論の進め方がおかしい」「質問に答えていない」という誤解や、果ては「能力が低い」という評価すら受けかねません。
これら三つの様式を習得することで、初めて自分たち固有の「起承転結」という書き方の特徴も分かり、独自性を意識できるでしょう。様式を学ぶことは単なる技術の習得を超えて、思考表現スタイルを学ぶことにほかならないからです。」
http://benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html
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わたし国語の塾講師してたとき、ほんとにもっと学校で「文法」とかちゃんとやろうよってなんど思ったかしれない
ともかく読み書きのことを、
たとえば小説をとりあげるなら、その小説が一体に何で出来上がっているか考えるような授業をしようよ、と
なにかを腑分けするのは批評の第一歩だと思ってる
全然関係ナイ(わけじゃない)けど
フランスのリセ、アンリ四世校
何か読むといつも出てくるよなあって、こないだ思い立ってぐぐってみたw(全部よんだわけじゃなありませんよw)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lyc%C3%A9e_Henri-IV(サルトルやヴェイユその他は著名だろうけど、モーパッサンやシャヴァンヌとかもだった、へええええ というか、それでジュヌヴィエーブか!ってこととかがわかってわたし的には納得だった、調べてよかったのだ 19世紀は専門じゃないですがシャセリオーあたりからのラインはなんとなしに気になるので)
公式サイト
http://lyc-henri4.scola.ac-paris.fr/prepas/index.html
http://lyc-henri4.scola.ac-paris.fr/lelycee/histoire/histoire.html(13世紀から始まってる、場所の歴史なら500年代!)