id:florentine
勝手に引用のことを語る

曾根崎人形 鈴木 創士 
http://wwwsv1.ntj.jac.go.jp/bunraku/diary/h24/diary03.html

谷崎の言っていることにけちをつけるようだが、必ずしも人から延びた枝が人形のなかにまで届いているのではない。言うまでもなく人形と人形遣いが一体となるというのはそのとおりであるが、人形遣いが幹で、人形はその枝であるとは限らない。花が咲くとも限らないのだ!遣い手から枝のように手が延びているかどうかは、枝となった人形だけの関心事かもしれず、幹と枝の関係はそのまま人と人形の関係とはならないかもしれない。それにしても人形の遣い手は舞台の上では黒衣となって、そこにいてもいないかのような影の存在となるのだが、いずれにせよそれは種(しゅ)のカテゴリーにおいても、芸術のカテゴリーにおいても、確かに秘密の領分であるし、独創的な発明であることは間違いない。だから黒衣とはじつに日本の芸能が編み出した最も高度に抽象的な存在である。この抽象性はたぶん現代の演劇理論に照らしてもきわめて厄介なものであり、寺山修司はたびたびそのことを意識するような舞台をつくっていたことを思い出す。黒衣に扮した役者ならぬ役者たちが劇と劇場を支配して、身動きして会場の空気を乱そうとする観客を殴りつけ、乱暴狼藉を働いたのである!
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この文の前に引用されてるのが大谷崎の『饒舌録』で、これもむちゃくちゃおすすめ!