黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在 シカゴの黒人ファミリーと生きて
http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=505
じぶんの抱えてる「問題」としてよんだ、よめた
あーーーーーってなった あーーーーーーって
むろんわたしはカラードでアジアテークで黒人ではないわけですが、女性の貧困とか教育についてとか「家族・共同体」の孕む問題とかなにやかやで、「誰も守ってくれない」という「感覚」を知らないではないわたしは、あーーっの連続だった
それから、エド・サリヴァンショーのプレスリーの「腰ダンス」の件に関して( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC )卑猥だからではなく、「黒人みたいだから」、という理由は当時の状況からしたらうなずける しかも先年だったかグラミー賞も黒人音楽その他がリストラされている(http://www.asahi.com/culture/update/0204/TKY201202040152.html)
そしてまた、カニエ・ウエスト兄さんが大学をドロップアウトしたネタなどを思い出しつつ(あちらはビジネスが忙しくなってのはずだけど)、たとえ優秀であろうとも(勉強ができると「白人みたいだと揶揄される」)、これほどまの「生き辛さ」があるものかと、じぶんの想像力のなさに唖然とした しかも女性の場合、さらに「女性」としての生き辛さがそこに加わる
わたしは、ミドルティーンのときに一月ばかり東海岸で過ごしたことがある あまりにもあからさまに「人種差別」が学校という場所にあったことに驚愕した わたしは、「学校」という場所はそういうものから遠いところだと願っていた 生徒は生徒であるという理由で「守られる場所」であれと欲していた ナイーヴ(素朴)にすぎるが、当時16歳のわたしはそう思いたかった そして、「名誉白人(という呼称はもう使わないですかね?)」である自身の立場について考えた ジャパンアズナンバーワンとか言ってた時代のこと
あのときの、世の中の複雑さに、ややこしさに叫びだしたくなるような気持ちを思い出す
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