id:florentine
読了のことを語る

共依存・からめとる愛-苦しいけれど、離れられない-
父親再生
さよなら、お母さん-墓守娘が決断する時-
 
信田さよ子さんの単著、図書館にあるのはこれで全部よんだことになるんじゃないかな
そういえば、共依存~、が「小説トリッパー」という小説誌に連載されていたこと、ていうのがこう、じぶん的にとても納得がいくというか、共依存やアダルトチルドレンという語その他、つまりは「語り」について、なのだよなあ、と
「世間」とか「普通」とかいうマジョリティのことばと、「わたし」という個人を主体とする「主語の問題」とかいいだすとすぐ大塚英志先生の言説になっちゃうんだろうけど、日本近代における私小説ジャンルの隆盛とか、そういうのともでも繋がるよねえって、ビルドゥングス・ロマン(教養小説または成長小説)として自我を問うっていまもう流行んないのかな、とかも考えたりも
あと、わたしは家にテレビがないので、いまも続いている絆とか家族回帰の強烈メッセージを受け取らずにすんでいるし(というかそういうのを拒否るために持たないってのも当然あるんだけどね)、わたしの愛する小説家パスカル・キニャールがいう「口承の文学では、つねに語り手は社会だ」または「聖書は言う。孤独な人間に災いあれ!孤独な人間は死んだ人間だ。だが、これは誤りだ。それはいつも社会が言う言葉だ」といったそれは、まずじぶんを救い出す必要があるときにこそ認識されたほうがいいのだろうとわたしは思うのだけど、そういうときに限って逆のメッセージが、つまり「口承の文学」というか世に云う「おおきなものがたり」とか「プロパガンダ」的なお題目として強く世に響いてしまうのがゲンジツってやつだよなあ、と 
そんなことを感じつつ