私は自分の淹れる珈琲は好きですけれど、たぶん客観的にみたらまだまだおいしくなるためののびしろがあると思うんですよね。それを確認するためにも、珈琲の達人の淹れた珈琲を飲んでみたいものなのですけれど、美味しいコーヒーを自分が美味しいと思えなかったときが怖いんですよね。
本来自分が珈琲に求めていたものは珈琲の本質ではなかったといったときのそして僕は途方に暮れる感じが容易に想像できるのです。これはもしかしたら惚れた相手についても同(話が大きくなりすぎそうなので中断)
コネタどうでもいいことなので一度しか言いませんのことを語る