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ホリィ(新人)のことを語る

Papathana's ブログ
明応軍乱編⑬阿州参陣
http://papathana.cocolog-nifty.com/papaneta/2016/04/post-ae55.html
明応軍乱編⑲永正の錯乱
http://papathana.cocolog-nifty.com/papaneta/2016/05/post-4feb.html

こちらの一連の記事を読んで考えていたことでもありますが、それまで上原賢家・元秀父子や赤沢宗益といった新参者を重用してきた政元が、後継者を澄之から澄元に変えて阿波細川家を中心とした体制に切り替えようとした段階で、これに反発した澄之方内衆によって殺害されたために、高国はその揺り戻しとして、譜代内衆の中から特に代々の丹波守護代を務めた家柄で、京兆家に忠実(香西氏などと比べて)だった内藤氏を立てたのかなと。
内衆たちにとっても、後継者が澄元のままでは三好之長らに対する不満は解消されないだろうし、前将軍義尹が復帰の機運が高まった状況では、澄元に代わって高国を立ててこれに従った方が都合が良かったのでしょう。
船岡山合戦の直後、内藤国貞の父貞正が高国邸で猿楽興行を主催したことも、高国が京兆家家督としてその復権を印象付ける意義があったように感じます。
その後の将軍義尹と高国の対立については、高国の側に問題があったとはどうしても思えないんですが…まあ、山田康弘先生の『足利義稙』を読んでから考えた方が良いかな。(次の水曜到着予定…)