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ホリィ(新人)のことを語る

永禄11年(1568)9月に信長が義昭を奉じて上洛してからも、信虎は引き続き在京していますが、元亀4年(1573)3月の義昭挙兵に際し信長に内通した細川藤孝への3月7日付の信長書状に、甲賀に滞在していた信虎が近江への出兵を企てているとの報告があったことが記されていて、反信長方としてゲリラ的抵抗を続けていた六角氏と協力して近江を攻撃しようとした様子が伺えるとのことです。

武田家の動きは信長との手切れが元亀3年(1572)10月で12月に三方ヶ原の戦い、元亀4年2月に野田城攻略、4月に信玄が死んで撤退という流れ。
信虎は信玄没後に甲斐帰国を打診したものの、まだ武田家中は不安定な状況だったためかすぐには受け入れられず、天正2年(1574)に逍遙軒信綱(信廉)が城代を務める高遠城で勝頼と対面するも間もなく3月5日に81歳で死去、甲府大泉寺での葬儀に際してようやく33年ぶりの甲斐帰国となりました。

波乱に富んだ信虎の一生ですが、特に在京時の動向と畿内政権と今川・武田の関係は、まだまだ想像の余地があるようで面白いです。
実は甲府の大泉寺には4年前に訪問済みなのです。有名な逍遙軒信綱が描いた信虎画像もここにあります。



左から勝頼、信虎、信玄の墓だそうです。