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ホリィ(新人)のことを語る

あと余談ですが、武田家によって没落させられた旧信濃守護の小笠原長時も永禄4年頃から京都で活動しており、こちらは三男の貞慶が三好長慶から偏諱を受けるなど三好政権に近い立場でした。
おそらく将軍義輝の元へ共に参集することもあったでしょうが、『言継卿記』の永禄七年十月十八日条に記された信虎の席次は、公家衆の直後で武家衆の筆頭とのこと。
この時点では信濃守護職は将軍義輝によって武田晴信に与えられた後ですし、信虎は前甲斐守護としても小笠原長時より高い家格を認められていたようです。この二人、どんな顔で挨拶してたんでしょうか(笑)

一方、信長上洛の際、細川昭元や三好長逸とともに摂津芥川城にいた小笠原長時は、退去後も引き続き三好方として戦い、永禄12年の敗戦で一族ともども牢人、後に上杉謙信を頼っています。
ただ一人、京都に残って義昭に仕えた貞慶は義昭の追放後、信長に仕えて旧領回復の朱印状を授かり、対武田・北条戦に奔走しましたが、勝頼滅亡後その約束は反故にされます。
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/243608029703100894

貞慶は本質的に反三好であった義昭や信長に仕えたにも関わらず、その名を改めていないのもちょっと気になりますね。