先週、先々週と自身が見逃したこともあり、特に大河ドラマ対策はしていなかったら、まあこんな感じです。

4/20の2226をピークに、翌週4/27は577、5/4は220まで落ち込みました。
(それでも、以前は1日一桁だったことを考えると、大河ドラマ効果は認めざるを得ませんが)
キーワードは上位は変わらず「上月城」関連ですが、ドラマの流れを先読んでか「三木合戦絵図」も少し増えてきました。

今回の注目検索ワードはGoogle経由の「御着城が攻められたとき黒田家はどうしたのか」
小寺政職が毛利方についてのは荒木村重とほぼ同時期と見られますが、黒田家は当主の官兵衛が行方不明なので、とにかく家中の結束を図るのと領内の混乱で大変だったようです。
官兵衛の妻・光に対して忠誠を誓う起請文が三通残されていて、そのうち1つに御着の小寺家から派遣された家臣達を中心としたものです。
これは、黒田家は官兵衛を見捨てて変わらず織田方に付く選択をしたということです。松寿丸は竹中半兵衛が匿っていますが、そんなことは知らないでしょうし、家督は弟にでも継がせるつもりだったのでしょうか?
御着城の落城をめぐる逸話は先日図書館でも知ることができたので、いずれその記事を書こうと思っています。
その下の「尼子勝久の像」もいいですが、僕の知る限りそれはどこにもないと思います。
今のところ「鹿介によって担ぎ出された人」以上の評価は受けていないし、最期を迎えたのが地元ではなく侵攻先の上月城である限り、今後も難しいでしょうね。
勝久は当主晴久によって討滅された新宮党の誠久の子ですし、尼子氏地元の広瀬でも顕彰されることはなさそうです。(鹿介像、経久像の次があるとすれば近年再評価されている晴久でしょう)
