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ホリィ(新人)のことを語る

もう一つ、年次不明九月十一日、乃兵(乃美兵部丞宗勝)宛の村重書状より
>於三木表被得大利之由 風聞候
>(中略)
>一刻も早く、先、至花熊、御上奉待候
おそらく武田四郎次郎宛のと同日の天正7年9月11日、すでに尼崎城へと移っていた村重から、小早川隆景麾下の水軍で最も活躍した勇将・浦宗勝(乃美宗勝)に援軍を要請しています。
「於三木表被得大利」というのは、毛利方が三木城への兵糧入れを敢行すべく9月9日から10日にかけて、平田村の砦を攻撃して秀吉の部将・谷大膳を討ち取った戦いを指すものと思われます。

花隈城には一族の荒木元清がおり、ここも毛利方の拠点でした。現在の元町の辺りで、池田恒興と嫡男の元助、次男の輝政らと対陣、村重が最後に抗戦した城です。
Wikipediaによると有岡城の開城が11月、信長によって一族や重臣、その妻子など大勢が処刑される中、村重が尼崎城を出たのが天正7年12月、花隈城の落城は天正8年7月とのことで、結構粘ってますね。

花隈城の守将に瓦林越後守とあるのが興味深いです。
越水城や鷹尾城など一時は西摂一帯に勢力を誇った瓦林氏の一族と思われますが、高国方から反三好方という流れで織田方に付いて、そのまま荒木の家老に収まっていたようです。